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ニュースにコメントする芸人たちはなぜ「反権力」になれないのか? マキタスポーツが原因を分析する

 では、なぜ日本のバラエティ番組では風刺が笑いのなかに取り入れられないのだろうか? マキタスポーツは日本において欧米的な風刺の表現が生まれにくい要因のひとつとして、現在の日本のお笑い業界固有の状況をあげている。

〈日本は縦社会です。人間関係も縦割りな序列的構図が基本。それを基に“揶揄い”も生まれます。例えば先輩や、上司、コミュニティ内のリーダー的人格は権威なので、笑いを生むに当たっては資源たり得るのですが、それはフィクショナルなコント内でのこと。ほとんどの場合、お笑いは、テレビのバラエティなどでドキュメンタリー的に見せられているわけで、お笑い芸人がテレビを通して見せているものは、自分の身の回りにある「身内」をまんまとトレースした「社会」だったりします。結果、例えば、若手が、ビートたけしさんの頭をはたくと、どういうわけだか他人事なのに“ゾッとする”ということが起こる。なので、視聴者は、社会の中で、個の主張としての笑いより、業界の生態関係図に惹かれながら、笑い的な何かを見出しています。日本のお笑いには目上には歯向かってはいけないという「道徳」が存在するのでした。(中略)視聴者は、お笑い社会が安定的に回っていることで「安心」を見たいのです。これは、政治の世界で言えば、政策よりも政局を見て楽しんでいることと同じです〉(「TV Bros.」16年10月8日号)

 コント番組もほとんどつくられなくなり、ひな壇でいかに上手く振る舞うかが芸人にとって最も重要なスキルとなった現在のお笑い業界において、大事なのは「空気を読む」ことである。そこに、敢えて場の空気に波風を立てるような「権力への噛み付き」や「横紙破りの表現」は求められていない。こういった状況のなか、もしもそういった表現を強行してチームプレイを乱す芸人が出てきたとしたら、「圧力を受ける」云々の前に、まず番組制作サイドから呼ばれなくなるだろう。それは、いまのお笑いのトレンドではないからだ。

 本稿冒頭で列挙したような第一線の芸人たちは、現在のお笑いがそういったルールで動いていることを熟知している。だから、情報番組のなかで彼らは「世間の声」を代弁する「優等生」として振る舞う。中田敦彦がベッキーのことを「あざとい」と断罪したことが象徴的なように、情報番組に出る芸人たちは、世間の常識に抗って笑いを生み出す存在ではなく、世間の常識を体現するだけの存在になってしまっているのだ。

 だから、『ワイドナショー』の松本人志や『ノンストップ!』の小籔千豊のように、もはや政権与党の公式コメンテーターのごとく振る舞う人間が出てくるのもまったく不思議な流れではない。安全保障に関する問題にせよ、女性の社会進出に関する問題にせよ、彼らはその「保守オヤジ」っぷりを遺憾なく発揮しているが、それも、どんどん保守化する世間の空気に過剰適応した結果なのだろう。

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