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人気作家たちは永遠の敵「〆切」にどう苦しみ、どう対応したのか? 逃亡、言い訳、謝罪、逆ギレ、開き直り…

 まずは普通に謝る正統派のパターン。吉川英治は編集者に会わせる顔がないからと謝罪の手紙をしたためている。

〈手紙にしました 手紙でないと 君には 面とむかふといつもなかなか云ひ切れないものだから……
 小説
 どうしても書けない 君の多年に亙る誠意と 個人的なぼくへのべんたつやら 何やら あらゆる好意に対してじゃ おわびすべき辞がないけれど かんにんしてくれ給へ どうしても書けないんだ〉

 大作家にここまで謝られると出版社の側もなんとか頑張って待ってみようと思うかもしれない。しかし、同書を読む限り、彼のようなケースは稀。作家というのは特殊な人種である。まともに謝る人の方がレア。一筋縄ではいかないのだ。

 そんな作家たちの回避術のひとつが、拗ねて自虐に走るパターンだ。高橋源一郎は缶詰状態に押し込められたときのことをテーマにしたエッセイで、なんの仕事もできないから作家になったのであって、そんな人間が〆切など守れるはずがないと居直る。

〈なぜ作家は好きこのんで「缶詰」になるのか。それは作家が仕事をしたがらない動物だからである。仕事が好きで好きでたまらない作家はうっちゃっておいても平気である。朝起きると「さあ、今日も仕事ができる!」と口走り、いきなりペンを握っちゃう作家をわたしは知っているが、そんな奇特な人物は例外である。ほとんどは、仕事をしたがらない。だいたい、作家などというものは、通常の仕事も耐えられないから作家になったのだ。朝早く起きられない。満員電車の通勤に耐えられない。他人がこわい。力がない。こういう人間は作家になるしかない。しかし、本来なにもしたくないのが作家的人格であるから、作家になったとしてもなるたけ仕事だけは避けようとするのが人情であろう。そこに編集者とのすさまじい葛藤が発生するのである〉

 こんなことを言われたらもう返す言葉もないが、これはまだマシ。なかには逆ギレするパターンも存在する。横光利一は〆切をぶっちぎった挙げ句、「書けないのに無理やり書かせるのは作家を殺すことにも等しい」と激高する。

〈私は頼まれたものは一応その人の親切さに対しても、引き受けるべきだと思つてゐる。が、引き受けた原稿は引き受けたが故に、必ず書くべきものだとは思つてゐない。何ぜかと云へば、書けないときに書かすと云ふことはその執筆者を殺すことだ。執筆者を殺してまでも原稿をとると云ふことは、最早やその人の最初の親切さを私慾に変化させて了つてゐる〉

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