それはともかく、過去のこうした言動を見ていると、今回の「ノーベル賞」に対する行動もその延長線上にあるというべきだろう。辞退というわかりやすいやりかたではなく、態度表明をしないという、まさに固定的なイメージにつかまらない方法で、それをやろうとしているところがいかにもディランらしい。
ただ、ディランがひとつのイメージにつかまらないために、いかに自分の音楽スタイルを変え、インタビューで言葉をまぜっかえし、ノーベル賞事務局と連絡を絶ったとしても、ディランにはまったく変わっていない部分、変わりようのない部分がある。
それは、ディランの歌が、常に世界と対峙し続けているということだ。抽象的で難解な言葉を駆使しても、けっして自閉的にはならず、そこには必ず、社会や国家、権力、文明への批評が含まれている。たとえば、07年、アルバム『モダン・タイムズ』は明らかに戦争や権力について歌っていたし、12年、71歳で発表した『テンペスト』にも、文明の滅びというテーマに向き合うものだった。
そういう意味では、ディランは今も新しいかたちの「反戦・プロテストソングの旗手」であり続けており、まさにノーベル文学賞にふさわしい存在というべきなのかもしれない。
(新田 樹)
最終更新:2018.10.18 04:01