過去に不妊治療も受けたことがあるという昭恵夫人だが、実ることはなかったその経験についてまるで自らを卑下するようにこう語っている。
「私の場合は『不妊治療をしました!』と宣言できるほどしていないんです。病院はいくつか行きましたが、私はコツコツ努力することができなくて、続かなかった」
しかし努力が足らず続かなかったというのは昭恵夫人の謙遜だろう。なぜならインタビュアーから「治療はつらかったのでは」と向けられると、昭恵夫人は涙を流して、その想いを語り出したからだ。
「そうですね……どうしても不妊って女性が悪いって思われるじゃないですか。だから、罪悪感じゃないですが……周りから……いろいろと言われて。ごめんなさい……(涙を浮かべて、言葉につまる)。」
昭恵夫人が語ったのは、不妊治療の辛さといった泣き言ではない。もっとも辛かったこと、それは子どもができなかった昭恵夫人の周囲からのプレッシャーだ。
「私は、自分の人生はこれでよかったと思っています。でもやっぱり、周りからはものすごく責められてきたわけです。たとえばお酒の席で、選挙区の後援者の方に『あなたは嫁として失格だ』とか『人間としてダメだ』みたいなことを言われて……。私がやりたくてもできないこと、欲しくてもできないことに対して、『何でここまで言われなくてはいけないんだろう』ということもありました」
政治家の“嫁”としての周囲からのプレッシャーだが、その言葉は女性蔑視、セクハラ以上の女性の人格否定ともいえるものだ。
「お酒が入っているので仕方がないのですが、『ワシが教えにいっちゃる』といった感じでどんどん来られて。『あんたは昔だったら、追い出されとる』などと言われるのは、やはりとてもつらいことでした」
昭恵夫人から語られるのは、子どもが欲しくてもできなかったことの罪悪感や周囲からの心ないプレッシャーだ。しかし昭恵夫人が子どもや不妊治療について語ったのは今回が初めてではない。たとえば「文藝春秋」(文藝春秋社)2006年11月号に掲載された手記で、昭恵夫人は子どもや不妊治療について「もちろん、政治家の家ですから、地元も含めて、ものすごいプレッシャーはありました」と今回同様のことを記している。
「むしろ私は、政治家の妻になったことも、主人が総理大臣になったことも、子どもに恵まれなかったことも、すべては運命であり、それを受け入れるべきだと考えています。これはきっと、育児の代わりに何かほかのことで社会のお役に立ちなさいという。私に与えられた使命ではないか、と自分に言い聞かせているのです」