『不自由な男たち──その生きづらさは、どこから来るのか』(祥伝社)
男性週刊誌で毎号のように大きく取り扱われている「死ぬまでセックス」特集。年をとっても元気なのはいいことだが、この元気は、実は、男たちの抱える「不自由さ」の裏返しではないか──。
そんなふうに分析するのは、元TBSアナウンサーの小島慶子氏だ。小島氏は男性学を専門とする武蔵大学社会学部助教授・田中俊之氏との対談本『不自由な男たち──その生きづらさは、どこから来るのか』(祥伝社)のなかで、こんなことを語っている。
「やはり、代償行為ではないのでしょうか。定年後、アディクトする対象である仕事がなくなり、その分をセックスに肩代わりさせている。六十になっても、七十になっても、八十になってもと……。本当にセックスがしたいわけではないんじゃ?」
男は学校を出てから40年間フルタイムで働き続け、会社に滅私奉公するのが当然──現在でもこの価値観は「こうでなければならない」と日本の男性を縛り続けている。そうして生まれる悲劇が、家事も育児も妻に任せ、趣味も仕事以外の生き甲斐もなく、いざ定年を迎えたらもう何をしたらいいか分からず抜け殻のようになってしまうというもの。その結果、定年後になってセックスに拠り所を見出すことになってしまうのだ。
小島氏がこのような考えをもつようになったのは、自分の経験が大きく影響している。というのも、彼女自身がそのような人生を歩みかけていたからだ。しかし、それは出産を機に変わる。子どもが産まれてから、人生における最優先事項は仕事から育児に変わった。その価値観の大変革は非常に大きいものであったと言う。
「私がかつて勤めていた会社は制度的に恵まれていましたし、夫も家事・育児をする人だったけど、やはり子どもを産むと仕事のペースを落とさざるを得ませんでした。アナウンサーでしたから、出演も減ります。
すると電話の取次ぎや補助的な仕事もしますし、社内では「あいつも終わったな」というように言われます。自分が「脇道に入ったな」という思いもあったのですが、いやいや「私は人の命を預かっているのだ。仕事上の私の代わりはいるけれど、代わりがいないという意味でどちらが重要かといえば、今の私にとっては育児の仕事だ」と考えることにしました。
私は仕事にやりがいを感じていましたし、結果を出すことをあんなに重視していたけれど、それは実はそんなに大事ではない、と思えたんです。完全に頭の構造が変わって、洗脳が解けたようでした。すると、同じ職場に通いながらも完全に見える風景が変わってきます。「仕事は人生そのものではなく、あくまでお金を稼ぐためのもの」という感じ。それでいいんです。他の人に押しつけるのでなければ。
女の人の場合はこうした経験をせざるを得ない。仕事一筋の男の人は定年まで経験しない。そんなの不自然ですよね。これから育児をする男の人は、働きながら育児もして、こうした価値観が変わる体験をしていくでしょう。昨日まで何より大事な最優先事項だったことが、今日からは三番目か四番目になる、そのクライシスを自ら決断して乗り越えていく経験をするんです。これは将来「自由になる」ために、とても大事な訓練だと思います」