取り調べを終えて解放された後日、裁判所に呼び出された蛭子さんは、「そんな所に行ったらダメですよ」や「そんな麻雀したらいけませんよ」と説教を受けるのだが、なんとそこで「全国には何万という雀荘があって、そこでは90%の人が同じように賭けているんじゃないでしょうか」と反論したという。そう思ってはいても、そこはグッとこらえるのが普通の人だと思うのだが、蛭子さんはそうではない。結局、この事件は10万円の罰金刑と判決がくだるのだが、そのことに関し同書でこんな思いを綴っている。
〈僕にとってはその時の10万円は違反切符みたいなもんだったんだと思っています。
それにしてもいまだによくわからないのは、なぜあの雀荘がやられたのかということです。そんなに大きなレートではなかったし、僕は店の人から「うちは刺青やあっち方面の人はお客にいませんから」と聞いていて、実際サラリーマン風の客が多かったのでまったく安心して通っていたんです。賭博なんて意識はなかったし、小遣い銭で遊んでいるという感覚でした〉
一応、丸坊主にしてテレビ出演をしばらく自粛したうえ、この件以来、麻雀からは遠ざかっているらしいが、タレント生命が絶たれていたかもしれない過去に対して、本質的には蛭子さんは反省の色なしなのだ。
さすが、〈ギャンブルは僕の人生そのものであり、ギャンブル場は僕にとって人生の学校そのものなのです〉と宣言する蛭子さんだけはある。
ところで、そんな蛭子さんがギャンブルにのめり込み始めたのはいったいいつからなのだろうか。
それは、なんと小学生の時だったという。まさしく〈ギャンブルは僕の人生そのもの〉だったわけだ。
〈当時から勝負して勝ったら相手から取り上げる“ギャンブル”が好きで、よく近所の友だちとお菓子を賭けて、自分で考案したトランプ遊びをしていました。自分でルールを考えたわけですから、当然勝つツボも自分が一番わかっています。だから負けるはずがありません。とにかく何かを賭ける勝負事の遊びばかりして過ごしていました〉
生まれながらにして筋金入りのギャンブラーだったわけだが、そんな蛭子さんは成長するにつれ、競輪、競馬、麻雀、ルーレット、花札、パチンコなど、ありとあらゆるギャンブルにのめりこんでいく。なにせ、高校を卒業したその足で向かった先がパチンコ屋であったというほどなのだからすごい。