だが、気づいた時には理研をあげての研究になっており、もう後戻りはできないところまできていた。むしろ、事実から目を背けて「あるはずだ」と実験を続けるしかなかった。日増しに大きくなるES細胞の可能性を打ち消すために、逆に、ES細胞と見破られないような論理補強を強めていった。そして、いつのまにか、小保方氏の「実験」を助けるために、積極的に協力するようになっていった――。
もしそうだとしたら、その背景には、生命科学の分野では論文不正が頻発し、再現性が証明されないまま長期間、放置される研究が少なくないことがあったかもしれない。仮に、STAP細胞が存在しなくても「再現性の証明が難しい」というような話で逃げ切れると考えていた可能性もあるかもしれない。途中で、論文作成段階になって、指導教授は自殺した笹井芳樹氏に移り、若山氏は山梨大学に転出していたことも大きかったはずだ。
しかし、「ネイチャー」に論文が採用され、小保方氏が想像以上の注目を集めたこと、そしてすぐに、データの切り貼りやコピペなど論文の不正が指摘されたことで、疑惑は一気に広がり、激しい追及の動きが巻き起こった。STAP細胞がES細胞ではないか、という疑惑がネットでもささやかれはじめ、それが検証されるのも時間の問題になった。
そこで、若山氏はいち早く、自分が作製した幹細胞やキメラマウスは小保方氏に渡したマウスとはちがうものからできている、STAP細胞はES細胞の可能性が高い、という情報を発表。小保方氏に責任を全て押し付け、自分は逃げ切ろうという作戦に出たのではないか。
実際、前稿で指摘したマウスに関する間違った発表や、無関係な中国人留学生のES細胞に関する情報以外にも、若山氏はSTAP細胞が小保方氏による捏造だったことを示唆するさまざまな情報を流していた。
自殺した笹井氏の未亡人も、「週刊新潮」(新潮社)の取材に、「若山教授はちょっと慌てていらっしゃったのか、何かある度に個人的に意見や見解を発表してしまわれていた」ため、その度に笹井氏が対応に追われていたと、若山氏を批判していた。
いずれにしても、若山氏が、関係者の誰よりも早く、この変わり身ができたのは、誰よりも真相をよく知っていたからではないか。そんな気がしてならないのだ。
繰り返すが、もちろん、これは素人の推測にすぎない。ES細胞のすり替えは最初から最後まで小保方氏の単独行為だった可能性もあるし、故意ではなく、過失という可能性もあるだろう。
しかし、そうだとしても、若山氏の責任はやはり重い。それは、STAP細胞の不正はきちんとチェックできたはずなのに、それを怠っていたからだ。これはプロジェクトリーダーとしてはありえない。