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東京五輪で一掃? 「エロ本」消滅危機の中、80年代エロ本が生んだ濃密なアングラカルチャーを懐かしむ

 本稿の始めの方で指摘した通り、単なるDVD付属冊子に成り下がってしまった現在のエロ本にこの頃の「自由」や「熱量」はなくなってしまった。ではなぜかつてのエロ本にはそれがあったのか。80年代にエロ本が「パンク」になった理由を、東良はこのように説明する。

〈何より大きかったのが、その作り手の多くが若かったということだ。若者は否応なく「性」を求めるものだが、同時に「居場所」や「生き方」も必要とする。何故なら我々は決して本能だけではセックス出来ないからだ。男と女(別に男と男、女と女でもいいのだが)が愛し合うには必ず「文化」が必要になる〉

 また、このようにも語っている。

〈エロ雑誌でもAVでも、はたしてエロが欲しかったのか? もちろんエロも欲しいんだけど、いちばん大切なのは、社会のエッジにいるような感覚だと思うんです。
 自分は疎外されてるなと感じる人間が、疎外感を共有できる。ピンク映画でもATG映画でもAVでも何でも、昔からそうだったと思うんだけど、ぼくはエロ本の中にはなんとなく、自分と同じようなやつらがいるなあ、みたいな感覚が大切だと思う〉

 現在、エロ本の主な読者層は40代以上と言われている。若者はネットに落ちている無料のエロ動画を観るため、エロ本など決して買わない。現在コンビニの成人誌棚に熟女系の雑誌がひしめいているのには、そういった事情がある。

 また、出版社サイドにも経営不振のためコストカットの嵐が吹き荒れている。若手のエロ本制作者が育つような環境はない。前述の中沢社長は〈俺は遠からぬ将来、アダルト雑誌は消えていく運命だと思ってる〉と語っているほど厳しい状況である。

 だが、いつの時代でも「疎外されているなと感じる人間」、「居場所」や「生き方」を必要としている若者は必ず存在する。80年代は「エロ本」がそういう人たちのための場所だった。今、その場所はインターネットのなかにあるのかもしれないし、もしくはもっと他の場所にあるのかもしれない。いずれにせよ、80年代エロ本カルチャーにあった遺伝子は、今でもきっとどこかで息づいているはずだ。
(田中 教)

最終更新:2015.12.17 11:32

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