彼の批評精神とはどのようなものであったのか。それは、東良美季による以下の発言に集約されている。
〈当時のピンク映画雑誌には村井実とか、川島のぶ子というライターがいましたが、奥出さんはその人たちにとても嫌悪感を持っていた。彼らは「ピンク映画はそもそも下劣なものである」という観点から書いていたからだったそうです。「村井実のインタビュー記事は、俺はとことん厭なんだ」「なぜ厭なのかと言えば、シモネタしか聞かないからだ」と話していました〉
インタビュー企画ひとつとっても、女優のライフストーリーに迫るなど、エロを「カルチャー」と捉えて深く切りこんでいく。「ビデオ・ザ・ワールド」がこのような姿勢をとっていくにあたっての思いを前述の中沢社長は次のように語っている。ちなみに、中沢社長は「ビデオ・ザ・ワールド」の初代編集長でもあった。
〈それはまあ、AVもちゃんとした作品なんだからさ、作品として観るか単なるマスカキのネタと思うかで違うんだろうけど、作ってる人達は一生懸命作ってるんだろうから、観る側もちゃんと批評すべきだと、俺は単純にそう思ったんだよね〉
「ビデオ・ザ・ワールド」の熱量溢れる批評は読み物としてすさまじいパワーを放つ。当時、中沢社長は「すっかり過激派の機関誌みたいになっちゃったよお」とこぼしていたらしいが、その濃い誌面に魅せられ、村上龍、田中康夫、宅八郎、高橋源一郎といった錚々たる面々が愛読誌であることを公言する雑誌へと成長していく。
しかし、これまで紹介してきた雑誌以上に、「エロ本は何をやってもいい」という自由を謳歌したのは、自販機本の世界だ。東良は本書のなかで「エロ本は、雑誌のパンクだと思った」と語っているが、それを最も体現しているのが自販機本だと言える。
そのなかでも特別な存在感を誇るのが「Jam」(エルシー企画)、そしてその後継である「HEAVEN」(ヘヴン・エクスプレス)だった。これらの雑誌には、山口百恵のゴミ漁りを行い誌面でファンレターや使用済みタンポンを公開するといった鬼畜企画、高杉弾、山崎春美、鈴木いずみといったライター・作家の文章のほか、渡辺和博、蛭子能収のヘタウマ系漫画も軒を並べた。誌面は一般の雑誌には決して載らない、パンク・カルト映画などのアングラな情報で溢れていた。これでも、ジャンルは一応「エロ本」である。
『エロ本黄金時代』に自販機本の解説文を寄稿しているばるぼら氏は、自販機本についてこのような言葉を残している。
〈もともと購入時は表紙以外は手掛かりのない性質ゆえに、「エロ写真さえ載せておけばモノクロページは(どうせ誰も読まないから)好きに作っていい」という編集者の意識が如実に表れた、読者のことなど何も考えていない自販機本のはじまり。「もう書店で文化は買えない」と宣言した路地裏の革命がここにある〉
〈自販機本こそ、日本の出版史に残る汚点、いや分岐点だった。ここを境に編集者は「いかに求められていないことをするか」という遊びを読者に挑戦するようになってしまった〉