なぜ、アメリカにはっきりと主張ができないのか。なぜ、日本は敗戦から得た教訓を手放そうとするのか。そのことについて考える菅原氏は、“日本の民主主義”を疑う。
「敗戦を迎えたとき、日本人があらゆることをあいまいにしたまま、戦後という時代に突入してしまったことは間違いない。それまで「撃ちてし止まむ、憎きアメリカ」と言っていた大人たちが、敗戦を境にして急に口をそろえて民主主義、民主主義と言い出した。国民が突然民主主義者になった、奇妙な国なんだよ、日本は」
この言葉には、菅原氏の戦争体験がもとにある。
「自分はあのとき10歳だったのかな。われわれは子供だったけど、大人よりも大きな声で「撃ちてし止まむ」とか「鬼畜米英」とか、言っていたんですよ。竹やりなんかを持たされて。子供は敗戦の次の日に民主主義者にはなっていない。わけがわからないまま、ただ何となく「負けたんだ」「終わったんだ」ということで敗戦を通過してきただけで。
だから、どうなんだろう、あのときの大人たちはやはり罪の意識を感じながら民主主義者になったんだろうか」
この夏、民主主義を見つめ直そうという声がさまざまな場面で立ち上がっていた。それはひとえに安倍政権が民主主義を軽んじ、何の躊躇もなく否定してみせたからだが、菅原氏が言い残したように、ほんとうにいまこそ、主体的に民主主義を選び取るという強い意識をひとりひとりがもたなくてはいけないときがきているのだろう。
そして、そのためにも戦争を憎み、徹底して戦争へつながる可能性の芽を摘まなくてはいけない。菅原氏は言う。
「やはり憲法9条は死守していかなければならない。広島や長崎に原子爆弾が落ちたのも、普天間の問題がくすぶっているのも、そもそも戦争がなければなかったことですからね」
「(原爆を)わが身で経験された方が亡くなっていくとともに、人々の記憶が薄れていくかもしれない。しかし、大げさに言えば、世界が続くかぎり、人類が続くかぎり、再び同じような悲劇を起こしてはいけないと訴え続けなければいけないわけで」