「Cut」(ロッキング・オン)2009年6月号
2010年から「人間活動」を理由に活動を休止していた宇多田ヒカルが、来春より本格的に音楽活動を再開するとのニュースが流れた。
12年にダウンロード配信シングル「桜流し」が発表されたり、レギュラーのラジオ番組をもったりと、単発的な仕事は時折していたものの本格的な活動を再開させるのは6年ぶりとなる。今後はアルバムのリリースも予定されているとのことで、ファンからは喜びの声があがっている。
しかし、そもそも、なぜ宇多田ヒカルは「人間活動」という名の長期休養に入らざるを得なかったのか? そこには、宇多田ヒカルと両親、とくに父・宇多田照實との複雑かつ入り組んだ親子関係が関係している。
1stアルバム『First Love』で累計売り上げ枚数765万枚という、今後永遠に破られることはないであろう記録を打ち立て、デビュー直後から日本を代表する歌姫としての地位を確立した宇多田ヒカル。しかし、彼女のインタビューを紐解いていくと、歌を始めたきっかけからして「親のため」であるという驚きの真実が浮かび上がってくる。
さらにその後、音楽活動を続けていくモチベーションについても「親が喜ぶからわたしも音楽やってたわけだけど」と発言するなど、立て続けにヒット作を連発する陰で「家族」「親」という「呪縛」は常に宇多田ヒカルを苦しめ続けた。
その苦悩は私生活にも大きな影響を与える。彼女にとって最初の結婚である紀里谷和明との結婚、そして離婚も、父・照實が大きく関わっていた。
実際、この間、ヒカルは父親との関係を一切断ち切ろうとする動きを見せたこともあるというが、結局、それをやりきることはできなかった。
しかし、10年8月、宇多田は「人間活動」という休養を発表することで「音楽」、つまり「親」との関係に距離を置くこととなった。そして、この「人間活動」の間、ついに彼女を「呪縛」から解き放ってくれるものが現れる。それが、イタリア人男性との再婚であった。