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桂歌丸が戦争の空気に危機感! 戦争がもたらした落語界の暗い過去…子供を産まない女性を糾弾する国策落語まで

 人々を笑わせるために演じられる落語なのに、なにもおかしくないという悲しい落語が戦時中はたくさん高座に上げられた。権力の意向に沿うための落語はどんどん歪なものに変質。「笑い」どころか、ただ単に人を傷つけるものにすら変わっていった。当時のスローガン「産めよ殖やせよ」をテーマにつくられた「子宝部隊長」という落語では、子どもを産んでいない女性に向けられるこんなひどい台詞が登場する。

〈何が無理だ。産めよ殖やせよ、子宝部隊長だ。国策線に順応して、人的資源を確保する。それが吾れ吾れの急務だ。兵隊さんになる男の子を、一日でも早く生むことが、お国の為につくす一つの仕事だとしたら、子供を産まない女なんか、意義がないぞ。お前がどうしても男の子を産まないんなら、国策に違反するスパイ行動として、憲兵へ訴えるぞ〉

 なにも面白くない、女性を愚弄するようなこのような台詞から、いかに当時の落語がねじ曲げられてしまっていたのかということがよく分かる。ただ、このような状況は、浪曲・漫才・講談など、庶民の人気を集める他の演芸においても同じだった。しかし、芸人たちもただ唯々諾々とお上の言うことに従っていたわけではない。林家彦六は著書『噺家の手帖』(一声社)のなかで、漫才師・林家染団治のこんなエピソードを紹介している。

〈すこし愉快な話をしよう。大東亜戦争になってから国民は金銀を手放しダイヤを提供し、果ては銅像から鉄瓶までお上へ差し上げた。その頃のこと。総理は東条英機大将だ。首相官邸に宴会があって二、三の芸人が余興に出演した。その中に漫才で〈ゴリラ〉の真似を得意にしている林家染団治がいた。
 やがて自分の出演順がきたので対人の芸人と二人で定めの場所へ出て一礼し漫才にとりかかると総理以下主客の居並ぶ客間の中央にテーブルが据えてあって花瓶に花が一ぱい飾ってある。漫才を演りながら染団治がどうも彼の花瓶はメッキではなくって本物の金だナと睨んだ。やがて漫才の喋りが終わって得意のゴリラの真似になったので『どじょうすくい』を踊りながら舞台から客席へ降りてゆき卓上の花瓶に近づいてたたいたりひっかいたり肚の中でてめえだけ金を持っていてこの罰当たりウォーッとどなった。庶民の淡い反抗だ〉

 また浪曲師の広沢虎造も、愛国的内容の浪曲を演じさせられた壇上で、政府の役員を目の前に〈こういう新作台本は私は甚だ不得意で、やれといわれてもやれまへん、芸人は自分の持っている芸を大切にして、その芸でお国に御奉公すればこそ愛国であって、戦争ものを読んだからというてそれが何の愛国だっしゃろ〉と言い放ったとの逸話も残されている。

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