嫌がらせが、大学の意向かどうかは分からない。だが以下のような事情があるのでは、と、この大学教員は言う。
「学問と政治の関係を、例えば教授会などで本気で討議することは難しい。ですから、陰にこもった嫌がらせをするのです」
しかし、なぜクレーマーに萎縮し、ストーカー的な振る舞いがまかりとおっているか。別の都内大学教員は語る。
「支配的な体制に順応してしまうことを良しとする、また政治的に突出することを許さない『空気』が大学に蔓延していることがその原因です。積極的に支配的な『空気』になじもうとする人はそう多くありませんが、最近の大学の教員は良くも悪くも優等生が多いので、この『空気』に抗する勇気のある人は少ない」
「空気」の問題で言えば、さらに寒々しい話がある。
「安保法制は、まだ大学で話しづらいということはありません。大変なのは慰安婦問題です。この問題は本当に大学当局も嫌がるし、教員もかかわり合いを嫌がります」
実際、本日行われる「安全保障関連法に反対する学者の会」と学生団体SEALDsが共催するシンポジウムは、当初、立教大学に会場使用を申請したものの、立教大はこれを「純粋な学術内容ではない」などとし許可しなかった。シンポジウムのテーマは立憲主義や民主主義について大学人としての責任を問い直すというもので、数々の学者たちが出席するが、これでも「学術的ではない」と言うわけだ。このシンポジウムは、結局、法政大学で行われることとなった。
当然、これが直接的な歴史問題となると、より厳しくなる。たとえば、慰安婦問題でシンポジウムを開こうとしても、過去に抗議行動を起こされたためか、「反日的」とレッテル貼りをされることを恐れてか、会場を貸さないという都内有名大学もある。