『華原朋美を生きる。』(集英社)
今年デビュー20周年を迎えた華原朋美。5月にはかつての恋人である音楽プロデューサー・小室哲哉が作曲した新曲「はじまりのうたが聴こえる」をリリースしたほか、6月には2枚のベストアルバムを同時発売。さらには、10月からは音楽番組『音ボケPOPS』(TOKYO MX)にてMCにも初挑戦するなど、かなり精力的な活動を展開している。
グラビアアイドルとしてデビューし、その後、小室哲哉に見いだされるかたちで歌手デビューした華原。それ以降、数度の活動休止と復帰を繰り返していたが、2012年の活動再開以来、精神的にも健康的にも万全に近い状態が続いているようだ。
しかし、ここにくるまで、かなりの紆余曲折があったことは誰もが知るところだろう。そして、20周年メモリアル本として8月に出版された『華原朋美を生きる。』(集英社)では、その紆余曲折の裏側が著されている。
歌手デビューする前の1994年ごろ、華原は「遠峯ありさ」の芸名でグラビアやバラエティ番組を中心に活躍していた。テレビのレギュラーなどもあり、当時のグラドルの中では売れっ子の部類に入っていたといえる。そんな華原をフジテレビの深夜番組『天使のU・B・U・G』で見て気に入った小室は、フジのプロデューサーを通じて自分が経営していた店「TJM」に呼び寄せる。このときの様子を、華原は同書でこう振り返っている。
「何かのイベントが催されていたのか、大勢の人でごった返すそこには、TRFのSAMさんやDJ KOOさん、それから『メンノン(メンズノンノ)』でよく見かけていたマーク・パンサーさんがいました」(以下、「」内は同書より)
いきなりセレブなパーティー会場に足を踏み入れた華原は、すぐにファミリーの一員となる。小室は華原を頻繁にスタジオに呼び寄せるようになり、あっという間に恋人関係となる。
「同時に、あの野心満々の遠峯ありさという存在は、私のなかで薄れていきました。すでに生放送のレギュラーが決まってたんですが、たしか2、3回出演してやめることになったと思います」