太田の「憲法9条」への思いは、所詮その程度のものだったのか。あらためて前述の本を開くと、そこには太田の熱い言葉が並んでいる。
〈今、憲法九条が改正されるという流れになりつつある中で、十年先、二十年先の日本人が、「何であの時点で憲法を変えちゃったのか、あの時の日本人は何をしてたのか」となった時に、僕達はまさにその当事者になってしまうわけじゃないですか。それだけは避けたいなという気持ち、そうならないための自分 とこの世界に対する使命感のようなものがすごくあるんです〉
〈僕は、日本国憲法の誕生というのは、あの血塗られた時代に人類が行った一つの奇蹟だと思っているんです。この憲法は、アメリカによって押しつけられ たもので、日本人自身のものではないというけれど、僕はそう思わない。この憲法は、敗戦後の日本人が自ら選んだ思想であり、生き方なんだと思います〉
9条は世界の理想であり、絶対に変えてはいけないもの──。芸人でありながら毅然と政治的な自分の考えを表明した太田のこのメッセージは、出版当時、強いインパクトを放った。しかも太田は、〈(9条の文言は)誤解しようがないし、わかりにくかったり、難しいところがない〉とも語っている。いま、安保法案成立によって起こっていることは、この「誤解しようがない」ものが、ねじ曲げられ、空洞化するという立憲主義の否定行為だ。
これだけ9条へ強い想いを抱く太田が、どうしてその9条の形骸化という暴挙を見過ごすのか。その答えが、じつは昨日の放送でポロッと出ていた。それは、9条へのスタンスを問われた際に出た言葉だ。
「(この本を世に送り出したときと)まったく変わっていないですよ。9条をこのまま残せっていう」
すなわち太田は、9条が改正されず、そのまま残るのならOK、と言っているのだ。9条が変わらないのなら、自衛隊がアメリカとともに事実上戦争に参加する、核兵器までをも弾薬だとするような、9条を踏みにじる法案を黙認する……。これでは本末転倒ではないか。
当然のことながら、9条は、ただ憲法に明記されていればいいというものではない。その言葉が機能し、権力を縛らなくては、何の価値も生まれない。たんなる死文化だ。