■戦争の被害実態には触れず、憲法改正を正当化
育鵬社の歴史観が端的に表れているのが、歴史教科書のなかで二度の世界大戦について扱った章だ。
「太平洋戦争」という名称については「米英に宣戦布告したわが国は、この戦争を『自存自衛』の戦争としたうえで、大東亜戦争と名付けました」と当時の政府見解を借りて、戦争の正当化とも取れる記述がなされる。
戦時中の国民の暮らしを取り上げた章は「国民の多くはひたすら日本の勝利を願い合い、励まし合って苦しい生活に耐え続けました」など、あたかも国民が戦争をすすんで受け入れたかのように説明。一方で、原子爆弾の投下については広島・長崎ともに日付と死者数が簡単に記載されているだけ。2015年3月末時点で認定被爆者は18万人を越えていること、放射線の影響などにより現在でも後遺症に苦しむ被爆者が多く存在することなど、戦後の被害実態に関してはすっぽり抜け落ちてしまっている。
また、戦後発布された日本国憲法についてはこうだ。
「最大の特色は、(略)他国に例を見ない徹底した戦争放棄(平和主義)の考え方でした。しかし、占領が終わり、わが国が独立国家として国際社会に責任ある立場に立つようになると、憲法改正や再軍備を主張する声があがりました。この問題については、現在もなお多くの議論が行われています」
日本は先の大戦で310万人もの犠牲者を出しており、日本国憲法はその徹底した反省から成り立っている。平和主義はそのような理念の結晶とも呼べるものだが、上の記述では日本国にとって平和主義が「なぜ」必要だったのかを紹介しないまま、憲法改正や再軍備の話へとつながっている。これでは、あたかも現在の日本国憲法が時代遅れであるかのような印象を与えてしまう。
憲法解釈について述べた部分には、同社の立場がよりくっきりと表れている。憲法前文・9条では「国際紛争を解決する手段としての武力の行使の放棄」が定められており、「集団的自衛権の行使はできない」という従来の政府解釈が示された後、このような記述が続く。
「しかし、憲法前文の後半で「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と書かれており、日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生した場合に、日本が必要最小限度の範囲で実力を行使することは、憲法上許されるのではないかとの指摘があります」