ちなみに、能町も自らを「オカマ」と称していた時期がある。10年前、能町の存在を有名にした彼女のブログのタイトルは『オカマだけどOLやってます。』だった。2006年、最初に出版された本のタイトルも同名で、あとがきには〈私はあえて自分のことを「性同一性障害」じゃなくて、「オカマ」と呼んでます。〉とある。(ただし、その後性転換手術をしたのを機にブログのタイトルも変更。文庫のあとがきにも〈オカマじゃなくてOLやってません〉とした)。
そして、この「オカマ」という言葉をめぐっては、いまから14年前の2001年に、今回のオネエ批判の原点になるような論争が起きている。
それは、ゲイ雑誌の発行人であり、性差別の撤廃と反天皇制を掲げた活動家・東郷健(2012年に逝去)のインタビュー記事が論争のはじまりだった。記事のタイトルは「伝説のオカマ 愛欲と反逆に燃えたぎる」。「週刊金曜日」2001年6月15日号に掲載されたものだ。
「伝説のオカマ」という言葉は、しばしば東郷を指して使われる言葉であり、何より本人が「オカマ」を自称していた。記事内ではインタビュアーも〈東郷さんは“オカマ”という。同性性愛者にたいして差別的にも聞こえる言葉をなぜ使うのですか、自分のことをなんでオカマと言い続けるのですか〉と問いかけており、「オカマ」という言葉を差別的に使用してはいない。だが、この記事に対し、「同性愛に関する正確な情報を発信している当事者団体」から抗議が編集部に寄せられた。「オカマ」という言葉がタイトルで用いたこと、記事内の「オカマ」の解説が間違っていることなどがおもな抗議理由だった。
当事者が「オカマ」と言っても、差別的な意味を含むそれをタイトルに使うのはおかしい──。この団体が主張したのは、「差別で傷つく痛みには個人差がある。一番傷つく人を基準に考えてほしい」ということだ。この抗議を受けて「週刊金曜日」は、「性と人権」を特集した。しかし、この特集が抗議団体の意見を取り上げる一方で、ちがう意見をもつ人びとの“異論”にふれることがなかったため騒動は拡大。ついには『「伝説のオカマ」は差別か』と題したシンポジウムが開かれるにいたった。
このシンポジウムでは「差別の判定は被差別者だけのものでいいのか」という問題が提起され、差別を論じる上で重要な指摘がなされているが、同時に、今回の「オネエ」問題にも通じる“一方的なカテゴライズ”の暴力性も語られている。
たとえば、伏見憲明は、「同性愛」という分け方それ自体を、「性科学、精神医学がそういうふうに性的指向で人を分類した時点で、すでに差別と排除が始まっている」と論評する。
「逆に言えば、差別と排除の眼差しによって、言説の権力が多様な性現象の中から「同性愛」を切り取ったわけです。つまり、分類された時点で言葉の中に差別が刷り込まれている」(『「オカマ」は差別か 『週刊金曜日』の「差別表現」事件 VOL.1 反差別論の再構築へ』ポット出版)
「同性愛」は、精神医学のなかで「異常」「精神疾患」と位置づけられた過去がある。これは異性愛至上主義を基準にした、まさしく「排除」の論理だ。同じように「オカマ」や「オネエ」といった言葉も、圧倒的に異性愛者たちが自分をスタンダードにし、差別的な意図をもって使ってきた言葉である。