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安保法採決へ! 天皇・皇后が“逆賊”安倍首相に抗した言葉は踏みにじられてしまうのか

 この歌を詠む以前、1975年に皇太子として現天皇がはじめて沖縄に訪問した際、ひめゆりの塔で火炎瓶が投げ込まれるという事件が起こった。訪問前から「石ぐらい投げられてもいい。そうしたことに恐れず、県民のなかに入っていきたい」と語っていたと言われているが、それほどに沖縄には、「沖縄が本土防衛のための捨て石にされた」という天皇への怒りがあったのだ。結局、大事にいたることはなく、その後もスケジュール通りに行事は進んだが、ひめゆりの塔のあとに現天皇が向かったのが「魂魄の塔」だった。この日、記者に配られた談話には、こう綴られている。

〈(前略)払われた多くの犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものでなく、人々が長い年月をかけてこれを記憶し、一人一人、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません〉

 実際、それ以降、〈皇太子時代に5回、天皇時代に5回の計10回〉と積極的に沖縄を訪問。沖縄で米軍による少女暴行事件が起こった翌年96年には、誕生日の会見で「沖縄の問題は、日米両国政府の間で十分に話し合われ、沖縄県民の幸せに配慮した解決の道が開かれていくことを願っております」と言及している。

 平和を希求し、中国や韓国といった近隣諸国に深い反省を述べ、沖縄に思いを馳せる。──こうして発言を振り返ると、天皇と安倍首相は、ことごとく対照的だ。

 たとえば、現在、安倍政権は国立大学での入学式・卒業式で国旗掲揚と国歌斉唱を行うよう求めている。が、これにしても、04年の秋の園遊会で米長邦雄・,元棋士に「日本中の学校にですね、国旗をあげて国家を斉唱させるというのが、私の仕事でございます」と言われたとき、天皇は「やはり、強制になるということではないことが望ましいですね」と返答している。著者は、この言葉の意味について、〈天皇という権威をかかげて、国民に法的根拠のない義務を強制する。そうした日本の社会や権力者のあり方が、戦前は多くの国民の命を奪うことになりました。(中略)明仁天皇のこの言葉には、二度とそうしたことがあってはならないという強い決意がこめられています〉というが、そうした反省が安倍政権にはない。それどころか、日本会議との接近や言論弾圧の一件を取っても、戦前回帰を目論んでいるとしか思えない態度だ。

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