一方、美智子皇后も同じように、昨年10月20日の誕生日を前にした文書コメントで、「来年戦後70年を迎えることについて今のお気持ちをお聞かせ下さい」という質問に、こう答えている。
「私は、今も終戦後のある日、ラジオを通し、A級戦犯に対する判決の言い渡しを聞いた時の強い恐怖を忘れることが出来ません。まだ中学生で、戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく、従ってその時の感情は、戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈はなく、恐らくは国と国民という、個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する、身の震うような怖れであったのだと思います」
皇后自らがA級戦犯の話題をもち出し、その責任の大きさについて言及する。──これは異例のコメントだが、こちらもすでに本サイトでお伝えしたように、じつはこの皇后発言の2か月前には、安倍首相がA級戦犯として処刑された元日本軍人の追悼法要に自民党総裁名で哀悼メッセージを送っていたことが報道されていた。連合国による裁判を「報復」と位置づけ、処刑された全員を「昭和殉難者」として慰霊する法要で、安倍首相は戦犯たちを「自らの魂を賭して祖国の礎となられた」と賞賛したという。皇后の言葉は、このようなタイミングで出てきたものなのだ。
美智子皇后は2013年の誕生日にも、「5月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます」 とした上で、以前、あきる野市五日市の郷土館で「五日市憲法草案」を見たときの思い出を語っている。
「明治憲法の公布(明治22年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、204条が書かれており、地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした」
日本国憲法以前から同じの理念をもった憲法が日本でもつくられていたこと、基本的人権の尊重や法の下の平等、言論の自由、信教の自由などが、右派の言うような「占領軍の押しつけ」などでないこと。美智子皇后はそのことをわざわざ示唆したのだ。