中条が記すのは、ゾンビが徘徊する世界とは、カタストロフ以後に生きる私たちの世界に他ならないのであり、この作品における悲惨ながらもすこし滑稽な描写には、大震災や原発事故を相対化する“癒やし”の効果があった、ということ。ある意味、私たちは震災を経てようやく、この作品の本来の読み方ができる時点に追いついたのだ。
さて、以上のように、マンガはここ10年における社会の意識・傾向を先取りし、クリアに浮かび上がらせてきた。では、次の“予言の書”となるマンガは何なのだろうか? 残念ながら、ここで断言することは不可能だ。
だが、『アイアムアヒーロー』の事例が示すとおり、往々にしてすでに提示されている物語に現実が追いついてはじめて、予言が明らかになるということだろう。
たとえば、本書において(震災以前の2010年時点で)『アイアムアヒーロー』と対になる作品として紹介されている『進撃の巨人』(諫山創/講談社)はどうだろうか。『進撃の巨人』はまったく不条理な悪夢的状況の真っ只中につきおとされるという点で、どこにも逃げ場のない現代社会の閉塞を描いた作品と著者は評しているが、その後、巻数が進むにつれて、ストーリーに大きな転換が見られた。
実は、理不尽に襲ってくると思われていた「巨人」の正体は人間であり、壁の中を牛耳る王族たちが情報操作をしてその事実を隠蔽していた。調査兵団の面々は真実を知るため、打倒・王政とクーデターを起こしたというのが、最新巻までの展開である。
政府がいたずらに某国の脅威を煽るなどして、マッチポンプ的に情勢不安をつくり、なしくずしに軍国体制を敷き、恐怖による支配体制を完成させる、などというのは、現在の情勢の延長線上に、あながちありえなくもないだろう。そしてその次に待ち受けているのは──。
そういえば現内閣にはマンガ好きの大臣がいるけれども、『ローゼンメイデン』にはいったいどんな予言が書かれていたのだろうか。
(松本 滋)
最終更新:2018.10.18 04:45