現在では、「そこからいろいろと仕事の状態が変わってきて、面白いことに参加させてもらえるようになって、自分から動けるようになって、それが形になってきて、徐々に変わってきて、今はすごい楽しめるようになっていますね」と語るまでに“病んだ”時期を乗り越えた彼だが、そのターニングポイントは、2007年に三池崇史監督の映画『クローズZERO』に出演したことだった。
「Quick Japan」(太田出版)10年10月号では、『クローズZERO』が初めて自分で出演を選ぶことのできた作品だと語っている。
「昔は「はい次コレ」って台本を渡されて、「はいわかりました」ってやってたんですよ」
「『白夜行』(TBS)みたいに今でも大好きな作品に出ることができましたけどいつでも自由に作品を選べるわけじゃなくて」
「たまたま組織変更もあって。で、初めて自分で選んだ作品が『クローズZERO』だったんです。以前の体制だったらたぶんやらせてもらえなかった」
「17歳の頃から、「不良の役をやってみたい」って訴えてたんですよ。「役者としてステップアップするためには、いろいろな役で、いろいろな作品に出ることが必要だからやりたいっす」と言っても、なんだかんだでやれなかった。『クローズZERO』でようやくチャンスが回ってきて、これは賭けだなと。ここでぶちかませば、絶対に仕事の幅が広がるな、と」
山田孝之が、この賭けに勝ったのはご存知の通り。そして、ここからは自分の役は自分で選ぶことができるようになった。
かつて、「ライブでステージに立つときに、出る瞬間タイムカードを押している気持ちになる」というカート・コバーンの言葉に共感していた彼はもういない。
「Cut」(ロッキング・オン)11年1月号でも、「芝居することは昔から楽しかったんですけど、今は、次これやりたいっていうのを自分でチョイスできるから、その分もっと楽しめてますよね。「次これ」って会社に言われるのと、「よし、次これやろう!」って自分から言うのは、ぜんぜんやる気が違うじゃないですか」と、自分の活動に裁量権を与えられた充実感を語っている。
そして、この時期から彼に仕事を選ぶ権利が与えられたことが、どんな役でもこなしてしまう、今の“憑依型”俳優としての山田孝之をつくることになる。