エリート家庭に生まれ育った信子妃が、どのような子育てを行っていたのか。それは知る由もないが、皇室という閉鎖された世界で一般社会とは違う子育てへのプレッシャーがあったであろうことは、雅子妃の例を挙げるまでもなく想像がつく。ただ、娘たちが成人まで打ち明けることもできず胸に秘めていたのだとしたら、それはきっと辛い経験だったのだろうと思う。
娘たちとの対話を拒む信子妃は、はたして「毒親」なのか──。だが、問題は皇室の特殊性にもあるだろう。事実、寛仁親王は生前の07年、ニューヨーク・タイムズの取材に応じ、皇室の生活がいかにストレスを生むかを語り、さらに皇籍離脱を望むか否かを問われ、“もうたくさん”と答えている。
彬子女王は前述の手記で、母・信子妃に〈(三笠宮両殿下に)ご無沙汰のお詫びとご報告をしてほしい〉〈公務に復帰される理由をきちんと説明してほしい〉と綴り、〈それ以上のことは、私は何も望んでいない〉と宣言している。現在、信子妃は国有財産である旧宮内庁長官公邸に特例で住んでいるというが、いっそのこと“自由の身”となり、あらためて親子関係について見つめ直してみてはどうだろうか。
(大方 草)
最終更新:2015.06.25 06:12