「とはいえ、新垣さんだけを責めることはできません。ベースにあるのは、日本人の芸術に対する教養のなさです。それゆえ人々は、聴く耳もないのに美談を求め、流行ものに飛びつく」
「陳腐なストーリーで塗り固められた人物をいたずらに持ち上げたマスコミも共犯者ですよ」
たしかに江原の言うことは正論だ。あのスキャンダルは、こうしたイメージに弱く、流行に飛びつく世間とメディアがつくりだしたと言ってもいい。ゴースト発覚前、新聞、テレビ、雑誌といった大メディアはこぞって佐村河内を“現代のベートーベン”などと持ち上げて紹介してきた。特にNHKがドキュメンタリー番組『NHKスペシャル』で佐村河内を取り上げたことは、佐村河内の神格化に大きな役割を果たした。そのため問題発覚後、それらメディアは謝罪に追われ、NHKは検証番組を放映する事態にまで追い込まれた。
しかし、江原自身もまた、そのイメージに弱い世間、陳腐なストーリーが好きなメディアを最大限に利用し、メディアの寵児として活躍してきたのではなかったのか。
芸能人や作家に信奉者を増やし、ファッション誌、女性誌を中心に露出をはかってブレイク。その後も毎月のように著書を刊行。その売れ行きの好調さから各出版社が競って江原本の獲得に走る一大ブームをつくりだした。さらに数々のテレビ番組にも出演、05年からテレビ朝日系で放送された『国分太一・美輪明宏・江原啓之のオーラの泉』は、世にスピリチュアルブームさえ巻き起こした。
特に女性を中心にした江原人気は絶大で、メディアにとって江原批判はタブーとさえなっていった。いわばメディアによって作られたスターが江原だったのだ。
そんなこの世の春を謳歌していた江原だが、しかし、数年前、その化けの皮が剥がれる事件が立て続けに起きる。江原は07年のフジテレビ『FNS27時間テレビ』でボランティアの女性を勝手に霊視、彼女の経営していた美容院を経営危機だなどと“ヤラセ演出”したことが大問題となりBPOからも勧告を受ける事態に。
さらに翌08年には『オーラの泉』で女優・壇れいの実父と養父を取り違えて、生きているほうの親を“霊視”するという失態を犯した。その結果、江原の人気は一気に失墜し、メディアにもほとんど姿を見せなくなった。
そういう意味では江原自身が佐村河内的な存在だと言ってもいい。それを「陳腐なストーリーで塗り固められた人物」と評し、さらに「いたずらに持ち上げたマスコミ」を共犯者だと断罪するというのは、もはやギャグでしかない。また、江原は対談でこんなことも言っている。
「もっと言えば佐村河内守という人は現代人の象徴なんです。20年近くもの時間があれば作曲の勉強をすればいいのにしない。いかに楽に体裁を整え、効率よく儲けるかに終始している」
これも、おいおい誰のことだ?と言いたくなるが、さらに江原のすごいところは、返す刀で新垣のメディア、バラエティ露出にこんな説教をしていることだ。