しかし、この小説を読んで気になったのは、用意された女子アナの進む道が、玉の輿に乗ることか産休明けに電話番に回されることの二択しかなかったことだ。アイドルアナ路線を歩めなかった小島は、ラジオに活路を見出し、パーソナリティとして個性を発揮して現在の地位を得たのはご存じの通り。そんな彼女だから指し示せる、記号化された「女子アナ」ではなく「女性アナウンサー」の道があったようにも思うのだ。
実際、「女子アナの定年は30歳」と呼ばれてきたなかで出産しても職場復帰する女子アナは増えているし、小島と同期の堀井美香も小川知子も、出産後いまだ現役だ。また、小島と同年代のNHK・有働由美子などは、脇汗の多さを視聴者にツッコまれても逆に特集にしてみたり、朝から膣を締める運動を実践してみせたりと、いまなお現場で新しい女子アナ像を築きつつある。
ついでにいえば、TBSには小島の先輩として定年まで勤め上げた吉川美代子や、それにつづく長峰由紀だって健在だ。だが、なぜか小島の小説は“女子アナコスプレ”論に終始してしまう。コスプレから脱却し、女子アナからキャスターになった吉川や長峰のような同性の先輩を、なぜ小島は一切描かなかったのか。
もしかすると、小島はそのじつ、まだ“女子アナの呪縛”から解き放たれていないのではないか。だからこそ、小説とはいえ生々しすぎる女性同士のマウンティングが描けたのではないか。──エンタメ小説としてグイグイ読ませるだけに、そうした部分が少し心配になるのだった。
(田岡 尼)
最終更新:2015.05.26 11:17