ここまで読むと、なるほどと思う。結婚後、松本の言葉からは独身時代にはしょっちゅうしていたフーゾク話や女遊びの話は消え、逆に娘が可愛くて仕方ないという子煩悩ぶりが発揮されるようになった。しかも、その熱の入れようは尋常ではなく、2010年に放送された『人志松本のすべらない話』(フジテレビ系)では「『森のくまさん』を英語で聞いたことがあります?」などと話しはじめ、「生後7カ月の娘に英才教育?」と噂された。なにせ、相方の浜田雅功でさえ「この人(松本)は現場に入ってくるとき不機嫌。でも、子どもが生まれたらそれがなくなった」と証言している。
そう、松本はすでにいま、自分がもっとも恐れていた“普通のおっさん”に自ら進んでなってしまったのだ。
しかし、まあ別に松本が普通のおっさんになろうが知ったこっちゃないのだが、目にあまるのは、こういった過去の発言をすっかり自分の歴史からなかったことにしている点だ。
たとえば、『松本人志 仕事の流儀』(イースト・プレス/2011年)において松本は、「『昭和的』な笑いを経験してない子たちが、大人になってどんだけ面白いことをできるんやろうか?って考えると、正直、ちょっと不安な部分はありますね」と語り、“いまの時代はお笑いを重宝しすぎ”と強調。そして、“僕が丸くなったのではなく世の中が変わっただけ”と言うのだ。
たぶん、結婚や子をもうけたことについても、松本は同じように考えているのではないか。だから、あれだけ結婚することや子をもうけることに拒否反応を示していたのに、いまは中居相手に「結婚しろ、子をつくれ!」と上から物が言えるし、45歳まで独身を謳歌してきたのに、いまさら少子化は由々しき問題だなどと常識人ぶるのだろう。
松本の場合、“普通のおっさん”になったというより、“見苦しいおっさん”になったと言うべきかもしれない。
(酒井まど)
最終更新:2015.05.23 11:28