近年、アメリカなどのLGBT先進国だけでなく日本でも、経済誌などがこぞって「LGBT市場」の特集を組むようになっている。電通ダイバーシティ・ラボの2015年の調査によると、日本におけるLGBT層の比率は7.6パーセント、その経済規模は5.94兆円にもなるという。これは金融や小売市場を超え、自動車市場にも比肩する規模だ。
経済誌の惹句を借りて言えば「LGBTマーケットは長引く不況の打開策」というわけなのだが、この流れのなかで注目されているのが、アメリカの人権団体が毎年発表するCEI(企業平等指数)という指数。企業がどれだけLGBTフレンドリーかを表すもので、2015年の査定で100点をとった企業をいくつか挙げると、アップル、ゼネラルモーターズ、アメリカン・エキスプレス、そしてナイキなど、そうそうたる世界企業が並ぶ。経済界においてCEIの影響力は年々増し続けていると言われている。
もちろん、このトレンドによってLGBTの就職や待遇が改善されることは喜ばしいことだ。しかし一方で、彼らは市場価値が低いとみなされるホームレスや生活保護受給者には見向きもしない。それどころか、CEIが指し示すLGBTフレンドリー企業の多くはグローバル企業であり、新自由主義経済のなかで途上国から搾取し、労働者の権利を軽視し、世界に偏在する貧困問題を加速させてきた。
長谷部氏らの政策の裏にも、このような新自由主義的価値観があるのは間違いない。等しく尊重しなければいけない人権を、マーケティングの観点で選別し、利益にならないと判断したものを切って捨てる。ようは“金になるかならないか”がすべてなのだ。
LGBTという「多様性」を権力者が「認め」ることで「差別のない社会」を謳いながら、ホームレスや貧困層労働者の生活を脅かしているというネガティブイメージを埋め立てる──こういうのを「ピンクウォッシュ」という。もしかすると今、この社会全体がそうした空気に覆われているのかもしれない。
事実、性的マイノリティの状況は改善の兆しを見せているにもかかわらず、世間は、ホームレスや貧困問題からは依然として目を背け続けている。すこしばかり悲観的に言うならば、それはLGBTの運動がとりわけ成功を収めたからではなく、新自由主義経済にLGBT市場はマッチし、路上生活者らの市場はミスマッチだったから、ということになるだろう。これらを区分するに都合のよい言葉として行政側から「自己責任」なる暴論がしきりに飛び出すことを鑑みても、その可能性は高いと言わざるをえない。
もちろん、マイノリティがロビイングをして政治を動かしたり、市場をちらつかせて経済人を動かし、結果として自らの地位を向上させることは悪いことではない。だが、経済的側面ばかりを重視すれば、もしその市場が思うように回らなかったとき、簡単に背を向けられてしまうリスクがある。