長きに渡り国の各省と財務省の“あうんの呼吸”で決まっていたという日本の予算。しかし震災前、政府の財政緊縮方針で査定が厳しくなり、要求が受け入れられない状況になっていた。そこに降って湧いてきたのが復興予算だ。
「財務省は2011年8月の時点で、各省庁に『復興関連予算は青天井だ。遠慮しないで要求してくれて構わない』と太っ腹な姿勢を見せ、(当時の)野田首相も9月20日の閣僚委員会で『青天井でいい。しっかりと要求していただく』と財務官僚たちと全く同じ言い方をした」
予算を一手に握る財務省、そして時の首相がともに「青天井」というのだから、省庁も要求し放題になるのは当然のことだった。しかも“復興”に少しでも関連づければ(実際は全く関連づけてすらいなかったが)要求が通ってしまう。各官庁は大喜びで復興予算に群がった。ある省の課長は著者にこう証言したという。
「実は財務省の主計官から、“欲しい予算があったら、復興名目で出したら付けてやるから、復興に関連があるように書いて要求しろ”と言われたので、本当はこんなもの復興予算で要求するなんてまずいと思っていたけど、供給したんです」
国の予算を、いや国民の血税をこんな乱暴に、しかも目的外に使っていた。これは国家ぐるみの詐欺といわれても仕方がない所業である。
「彼ら官僚にとって、その事業の予算が、何の名目の予算であるかはさして重要ではない。復興予算だろうが、本予算だろうが、自分たちの計画した予算が無事に通るなら、どちらでも構わない。つまるとこと、財布の違いでしかないということだ」
一方で、被災地の石巻市が防災無線整備のために復興交付金を要望したが、「緊急性が乏しい」とはねられていたという。一体何のための復興予算なのか、著者もなぜ官僚たちがそんなことをしたのか本音は伺い知れないとしたうえで、こう記している。
「まず国側が優先して事業を行うことが復興に役立つと思ったのだろうか。それとも、復興予算も「国家予算」なのだから、我々の金だというのが、彼らの感覚だったのだろうか」
そしてもうひとつ、本書は、復興予算流用の裏に、政府による景気対策の思惑が存在したのでは、と指摘する。その舞台となったのは東日本大震災復興構想会議だ。これは首相の諮問に基づき復興構想について審議を行う政策会議だが、当時の菅直人首相の「諮問書」には「被災地のみならず」という言葉が2回も登場する。さらに「被災地域の復興なくして日本経済の再生はない。また、日本経済の再生なくして被災地域の真の復興はない」という文言も謳われている。これらは「復興のための経済対策なら日本中どこでやってもいい」とも解釈できる。とすれば、復興予算の「青天井」化のお墨付きが政府から下されていたことになる。