さらに時代を10年ほど進めてみる。90年代から2000年代前半には、未成年による凶悪事件が多発し、「キレる10代」「心の闇」なる文言がメディアを賑わせた。こうしたなか、2000年の少年法改正で検察官送致年齢が16歳から14歳に引き下げられたことも記憶に新しい。いくつか印象的だった“実名・写真報道”を挙げてみよう。
1997年の神戸児童連続殺傷事件、通称・酒鬼薔薇事件は、遺体損壊という猟奇的な犯行手口、犯人から送りつけられた“声明文”など、劇場型犯罪としてメディアを賑わした。ましてや犯行が14歳の少年によるものだったことで、世間に大きな衝撃を与え、社会不安を増長させた。少年の氏名、顔写真などを一貫して報じなかった新聞に対し、問題視されたのはやはり雑誌ジャーナリズムだった。
一例として写真週刊誌「FOCUS」(新潮社/休刊)を巡る騒動を取り上げよう。同誌は97年7月9日号で「酒鬼薔薇聖斗」の顔写真を掲載。東京法務局は回収と再発防止策の公表を勧告した。流通業界でも販売自粛や、図書館が閲覧を停止する動きがあった。さらに新聞・テレビは一斉に「人権侵害」「商業主義」と批判。だが、それでも大衆は「酒鬼薔薇聖斗」の情報を求めていた。実際、扱いのあった書店では瞬時に完売したという。インターネット(当時はパソコン通信も)で、被疑少年の個人情報が飛び交うようになったのもこの頃からだ。「FOCUS」の誌面をコピーして、ネット上で販売する者も現れた。多発した酒鬼薔薇関係のサイトやカキコミには、露骨に「愉快犯」的なものが多く、現在でいうところの“祭り”の原初だったと言えるだろう。
酒鬼薔薇事件の余波も覚めやらぬその翌年、堺通り魔事件が発生した。早朝、シンナー中毒の少年(19)が、通学中の女子高生(15)を包丁で刺し、立て続けにバスを待っていた幼稚園児の集団を襲撃。逃げ後れた幼女(5)に馬乗りになり背中を2回刺突。女子高生と、幼女を庇おうとした母親が重傷、幼女は死亡した。
この事件では、容疑者の少年を実名で報道した「新潮45」(新潮社)とジャーナリスト・高山文彦氏が少年から訴えられるという事態に発展した。少年は、「実名報道で名誉を毀損された」として2200万円の損害賠償を求める民事訴訟を起こし、刑事でも告訴した。これは少年法61条を巡る全国初の訴訟である。民事の一審は少年の勝訴(新潮社に250万円の支払い命令)、控訴審では一審を破棄する逆転無罪だった。
この裁判の焦点はともに憲法で保障されている「表現の自由」と「基本的人権」の対立という構図だった。大阪高裁はルポについて「社会の正当な関心事」であり「表現方法において特に問題視しなければならないところも見受けられない」とした。著書『少年犯罪実名報道』(文藝春秋)のなかで高山氏は、これを〈(判決文は)「表現の自由」が実名報道を禁じた少年法61条に優先すると述べているのだ〉と書いているが、同時に大阪高裁はこのようにも述べている。
〈本件記事において、実名によって被控訴人(※引用者註 犯行におよんだ少年のこと)と特定する表現がなかったとしても、その記事内容の価値に変化が生じるものとは思われず、(略)本質が隠されてしまうとも考えられない。しかも、本件記事によって被控訴人に自分のしたことを認識させ分からせることができるかどうかは不明というべきであるし、そもそも控訴人(※引用者註 高山氏)らにそれをする権利があるとも解されないから、この点に関する控訴人らの主張は理由がない。〉
つまるところ、この判決文の趣旨は絶対的に「表現の自由」の勝利を謳うものではなかったとは言えよう。ただし、光市母子殺害事件(99年)でも、加害少年(18)の実名をタイトルの一部に入れた書籍(顔写真も掲載された)を巡って争われたが、同じく裁判所は少年の弁護団側の出版差し止め請求を認めていない。