『永遠の0』(講談社文庫)
百田尚樹の『永遠の0』がドラマ化され、2月11日から放映が始まった。あの『殉愛』騒動の後に百田作品のドラマを放映して大丈夫なのかと言いたくなるが、1回目の視聴率は9%。プライムタイムのドラマ視聴率としてはよくはないが、それでもけっこうな数の人間が観ていたことになる。そして、今夜は第2話、明日は最終の第3話が放映される。
だとしたら、本サイトとしても改めて、この百田の処女小説について指摘しておかねばならないだろう。それはネットで噂になっている盗作疑惑のことではない(それについても後述するが)。『永遠の0』がネトウヨ並みの平和ボケな頭でつくりだされた戦争賛美ファンタジーでしかないことを、だ。
『永遠の0』について、百田は「私は『永遠の0』で特攻を断固否定した」「戦争を肯定したことは一度もない」「一部の粘着する連中から『百田尚樹は特攻を賛美して肯定する軍国主義者とだ(原文ママ)』と執拗に非難される。多くは本を読んでない人だが中には読んだと言う者もいるから唖然とする」と言い張ってきた。
百田本人だけではない。安倍政権の戦争加担政策を批判して大炎上した桑田圭祐も『永遠の0』については映画版を見て「平和への思い」に涙を流して感動し、主題歌をつくってしまった。田原総一朗も「僕は『永遠の0』を読んでいるうちに、ぐいぐい引き込まれた。大東亜戦争への痛烈な批判は「左翼」作家やジャーナリストが書いたものなどと比べものにならないくらいすさまじかった」などと書いている。本サイトにも「『永遠の0』は戦争賛美じゃない、反戦だ」「読まずに批判するな」「百田だからとレッテル貼りで、戦争美化と批判してるだけ」などの批判が届いていた。
しかし、読んだうえで何度でも言うが、『永遠の0』は戦争に反対なんか一切していない。それは、よく言われているように「零戦を賛美している」「特攻を美化している」だけじゃない。『永遠の0』は根本的に戦争を全面肯定しているのだ。
『永遠の0』のストーリーは、戦後60年の平成を生きる青年が語り手となって、特攻で死んだという祖父の軌跡を、戦場での知り合いを探し出し、たずね歩くというもの。戦友たちによると、祖父・宮部久蔵は、零戦パイロットとして天才的な技術をもちながら、「死にたくない」「生きて帰りたい」が口癖の海軍航空隊一の臆病者だったという。
戦友たちの口からは、宮部の思い出と同時に、真珠湾攻撃に始まり、ミッドウェー、ラバウル、ガダルカナル、サイパン、レイテそして特攻、終戦と日本軍の戦いぶりが語られるという構造になっている。
しかし、それがどのように語られているかというと、たとえば、開戦でもあるハワイの真珠湾奇襲攻撃についてはこんな感じだ。