『バレンタインデーの秘密 愛の宗教文化史』(平凡社新書)
バレンタインデーまで1週間を切って、デパ地下やコンビニのチョコレート商戦も過熱してきた。生まれてから一度もチョコを貰ったことのない(お母さんを除く)、筆者のような人間は、そんな光景を冷ややかな目で眺めて、こう毒づくのだ。
「けっ、企業の戦略に踊らされやがって」
あちこちで聖人バレンタイン伝説にちなんで、2月14日のバレンタインデーは「愛の日」だとアピールされているが、これを鵜呑みにすることはできない。意地悪を言えば、購買をそそるための神秘性と、伝統的な正当性をもって「チョコを配らなければいけない」とバイアスをかけるための巧妙な商法でもあるからだ。
2月14日に女性が男性にチョコレートを贈って愛を告白する、といった文化が広まっているのは、日本と韓国のみ。バレンタイン・チョコが考案されたのは1860年ごろのイギリスだが、これはあくまで贈り物の選択肢の一つに過ぎない。イギリスからバレンタイン文化を流入したアメリカでは、男女互いに恋愛絡みのプレゼントをする日であり、その内容はチョコだけでなく、カードや花束、ディナーの約束などさまざまだ。その他ヨーロッパ、および世界各国でバレンタインデーが注目されだしたのは、早くても20世紀後半から。ポピュラーになっていったのは1990年代以降と、意外なまでに最近の風潮なのである。
バレンタインデーが現在のかたちになったのは、アメリカ資本主義、中産階級たちの台頭と歩を一にしている。つまりは古くからの宗教儀式でも伝統文化でもない。アメリカ型の経済グローバリズムに覆われた国ごとに、「愛の日」といった名目で男女がノセられ、モノを買わされているに過ぎないのだ!
……と嫌味を撒き散らしてしまったが、これは「現在あるような」バレンタインについての話。そもそもバレンタインデー自体に何の根拠も歴史もないかといえば、そう単純でもない。
この文化のルーツについて、分かりやすく解きほぐしてくれるのが『バレンタインデーの秘密 愛の宗教文化史』(浜本隆志/平凡社新書)。古代ローマの性的な祭り「ルペルカリア祭」が、勢力を増したキリスト教により「聖バレンタインの日」に代えられ、貴族など世俗権力および市民社会の勃興の中で次第に脱宗教化していき、ついにはアメリカで現在のかたちに定着していく。一読すれば、そんな歴史的経緯が了解できる良書だ。
たしかに古今東西、性愛にまつわるイベントは人々の最大関心事であり、今後も絶えることなく続けられるのは間違いない。その一つであるバレンタインデーも、各時代の社会構造・価値観によって変遷していったのだ。ザックリと考えれば、古代ローマの祭りからキリスト教の禁欲性を経て、また元のお祭り騒ぎに戻ったとも言えるだろう。