そう考えると、イスラム国がほころびだらけの「国」などという文脈に乗っかっているのは滑稽かもしれない。しかし「国」が虚構であるからといって、無視できるものではない。
実際、一方ではイスラム国を国としてとらえ、対処することを提唱している識者もいる。たとえば、北欧諸国政府の対テロリズムのコンサルタントを務める女性ジャーナリスト、ロレッタ・ナポリオーニ氏は『イスラム国 テロリストが国家をつくる時』(文藝春秋)でこう指摘している。
「彼らが好きなように中東の地図を書き換えてしまう前に国際社会に取り込み、国際法を守らせるほうが賢明ではあるまいか」
この「イスラム国」という物語を、いくら他者が「認めない」とないことにしても、この物語じたいがもう力をもってしまっていて、消えることはない。欧米中心の社会で「イスラム国」という言葉だけを隠蔽したところで、この物語はなくならない。ますます力を強くする可能性もある。宣伝になるとして各国メディアが、イスラム国の動画を使用しないというのも同じだ。
個人がISILと呼ぶことを否定するつもりはない。しかし少なくともわたしたちは、「イスラム国」という呼称を葬り去るのでなく、あるものとして対峙し、批判し続けたいと考えている。
(エンジョウトオル)
【検証!イスラム国人質事件シリーズはこちらから→(リンク)】
最終更新:2017.12.13 09:20