ヤミ金は高い金利で低額を貸し付ける。10日に1割の利子を意味する「トイチ」という言葉が有名だが、本藤が退職した03年当時は10日に5割という驚きの「トゴ」が主流だった。本藤は五菱会系ヤミ金の残党を「見せしめで潰したり、乗っ取ったり」してグループの規模を大きくしていく。最終的に本藤のヤミ金は「300店舗を数え、従業員1300人を抱えるまでに肥大」し、「月収は最低でも2〜3億」だった。
本藤はその後、オレオレ詐欺や架空請求詐欺への転換を果たし、さらなる収益をあげていく。それがまた、別の詐欺へのヒントとなった。
当時の本藤のもとには巨額のカネが流れ込んでくるが「あまりに巨額だったから銀行に預けることは不可能」だった。「税務署にカネの残高や出所をお伺いされたくないから、土地も株も債権も買えない。基本的に遊び以外には使い道がなかった」のに、カネばかりどんどん流れ込んでくるため、「住まいとは別に目立たないマンションを借り、そこを自分だけのカネ置き場に」していた。
さすがに増えすぎたカネを海外に逃避させることを考え始めた。一方、06年頃から好んで海外に遊びに出るようになった本藤は、中東屈指の金融センターであるドバイに行った時、イラクでディナール紙幣が使われていることを知る。現地で日本円をディナールに両替し、全部使い切れずに日本に戻った。しかしどこの銀行に持ち込んでもディナールを再び日本円に両替することはできなかった。また当時のディナールの価値は下落していたが、イラク戦争が終われば「経済が復興して昔のように価値が上がるのではないか」……と詐欺に使えることを思いついた。「なぜならディナールという正規の通過は日本で知られていない。取引されてもいない。これを売るために、どのようなセールストークをしようと破綻せずに済む」と、さらにディナール詐欺で一儲けしていくのだ。
「ディナール詐欺はバカ受けしました。自分の持ち金をもっと増やしたいという欲の皮の突っ張った小金持ちたちが争って買ってくれた」
というから読み通りである。「詐欺師の業界でブームになり、大流行した。他の詐欺集団が競って商材にするべくディナールを求めた」ともいい、当時の詐欺業界に旋風を巻き起こした。
しかも、ここまで手広く詐欺を行ってきていながら本藤には「意外なことに、本藤には詐欺に関わる事件で逮捕歴も前科もない」という。
詐欺のセンスと並外れた実行力、そしてヤバいと思ったらあっさり引く動物的勘の鋭さ。そんな本藤は詐欺の原則を『かぶせ』だと言い切り、こう解説している。
「名簿屋から様々なリストを購入するわけですが、騙されるような人間に片っ端から電話を掛けるのではなく、一度何かの詐欺に引っかかった人間を何度も狙う。騙される奴は何度も騙されるし、なによりカネがある。300万円振り込むということは、3000万円は貯金があるということです。この残りを根こそぎ搾り取った方が効率的なのです」