「感激家で直情径行、一本気で堅物」と評される山田氏に対し、「実に穏やかな性格」と言われる見坊氏。そんな見坊氏が、山田氏と決別したのは、昭和47年1月9日。それは、ことばの用例採集に没入する中、『三国』の改訂も抱える見坊氏に代わって、山田氏が主幹となり手がけた『明国』第三版である『新明解』が完成した打ち上げの席だった。見坊氏が出来上がった『新明解』の序文に初めて目を通すと、そこには「見坊に事故有り、山田が主幹を代行」「言わば、内閣の更迭に伴う諸般の一新」と書かれていたのだ。
実際は、見坊は事故になどは遭っておらず、しかも「見坊が編修主幹を降ろされた」とも読める。打ち上げでは何も言わなかったという見坊氏だが、自宅では怒り狂っていたと家族が証言しているように、相当、激怒していたのだろう。というのも、見坊氏は“一時的に山田氏に改訂作業を任せた”つもりが、期間を過ぎても山田氏が編集権を返さなかった。つまり「横取りされた」という認識だったのだ。
しかし、なぜ山田氏は、そこまでして辞書をつくりたかったのか。その理由は、盗用や模倣が繰り返される「旧態依然とした辞書界」へ憤りだ。さらに、単なることばの“言い換え”や“堂々めぐり”が「ごく普通だった」辞書づくりを変えたいという思いもあった。
“堂々めぐり”から抜け出すにはどうすればいいか──そこで編み出されたのが、“文による語釈”だった。『新明解』の独創的かつ主観ともいえる語釈は、こうした背景から生まれたのだ。例として、とくに物議を呼んだ語釈を紹介しよう。
「どうぶつえん【動物園】生態を公衆に見せ、かたわら保護を加えるためと称し、捕らえて来た多くの鳥獣・魚虫などに対し、狭い空間での生活を余儀無くし、飼い殺しにする、人間中心の施設。」(『新明解』四版)
「マンション スラムの感じが比較的少ないように作った高級アパート。[賃貸しのものと分譲する方式のものとが有る]」(『新明解』初版)
そして、この“オリジナルすぎる語釈”の中には、見坊氏との関係がにじむような文章もある。たとえば、『新明解』初版の〈実に〉の項目はこうだ。
「助手の職にあること実に十七年[=驚くべきことには十七年の長きにわたった。がまんさせる方もさせる方だが、がまんする方もする方だ、という感慨が含まれている]」
助手に甘んじてきたことの“恨み節”。まるで、自身の経験を反映させたような文章にも見えるが、しかしこれが四版になると、『坊っちゃん』を引用した、このような用例に変化する。
「この良友を失うのは実に自分に取って大いなる不幸であるとまで云った」