わが左巻き書店のブックフェア、前回、前々回の2回は、人肉食いという戦争の惨劇を記した2冊の文学作品を紹介してきた。
しかし、まだ極限状況に至らない時点での戦争のリアルはまた様相をまったく異にしている。ただただひたすら歩き続ける行軍が大半を占める。そうした戦争のリアルは、火野葦平『土と兵隊・麦と兵隊』(社会批評社)で読むことができる。火野葦平は芥川賞受賞後、「麦と兵隊」「土と兵隊」「花と兵隊」従軍記三部作を書き、人気作家となった。戦中の発表なので、もちろん反戦を意図するものではない。ただ、その延々と続く目覚めることのない悪夢のような行軍の過程で遭遇する、銃撃や死体を通して、ただ日々の生存を確認するだけの記録は、戦争がけして英雄的行為に彩られているものではないことを、切実に伝えている。
「土と兵隊」の最後に次のような記述がある。
「我々は又前進だ。どこまで行くのやら判らない。…私の足は豆を踏み潰し、板のようになった。つめは黒くなって剥げてしまった。我々はも早、この進軍を続け得るものは、我々の肉体ではないということを知ったのだ。…我々の前途にはいかなる苦難があり、いかなる凄絶なる戦場が待っているか、想像もつかないが、何があってもよい、我々はただ進んで行けばよいのである。…我々の進軍は又もや泥濘の進軍に相違ない」
「泥濘の進軍」とは中国大陸でのぬかるみにはまり込んでいく戦争の進展を示唆しているようにも読めるが、作者にはそのように戦争を相対化してとらえる視点も当時はなかったに違いない。ただただ日常の行軍の苦難を素直に伝えただけだろう。
おあつらえ向きのドンパチへ突撃する華やかな戦闘などどこにもない。そんなものだけで戦争が構成されていると考えているのは、アニメやアクション映画でしか現実を学ばないからだ。