この本の特色は、著者が若い世代ではなく、1954(昭和29)年生まれと今年60歳のズバリ“オジサン”世代だということだ。高給取りの働かないオジサンたちを「さっさと辞めろ」と糾弾したり、「だから日本企業は遅れている」式の批判は行なわない。著者は「中高年社員の場合には、人事評価が果たすことのできるマネジメント効果は、若手社員に比べて、それほど期待できない」と悲観的ながらも、風当たりの厳しい同年代の「働かない」オジサンたちの声を紹介する。
「働かない」オジサンたち自身も、「会社から期待されていないことは、うんざりするほど感じている」「仕事にも飽きたし、会社の中で面白いことは何もなくなった」「正直な話、俺たちのモティベーションを上げるなんて、もう無理だ」とダメ発言連発だ。
やがて、オジサンたちにも希望が持てそうな1つのアイデアが出る。
「1年間の休暇がもらえれば、会社に戻って頑張れるかもしれない」「もちろん長期休暇の間は無給でいい。ただ1年後、職場に戻れるという保証さえあれば、何かに挑戦したいという」(同書より)。この“道草休暇”というべきアイデアに「今の自分を切り替えられることができるかもしれない」「何かチャレンジができそうだ」と、「働かない」オジサンたちも期待感が大きく膨らみはじめたという。
このアイデアをもとに著者は、大学教員のサバティカル休暇のような7年程度に1度の長期休暇制度のほか、「副業禁止」よりも「専業禁止」を謳うなど、「働かない」オジサンたちのモチベーションをアップさせる方法を提案する。
「働かない」オジサンたちの「1年後、職場に戻れるという保証さえあれば」などということ自体、若い世代から見れば、会社組織のぬるま湯にどっぷり浸かっている発想であることはいなめないが、たしかにオジサンたちが、「挑戦」や「チャレンジ」といった言葉を前向きに語るあたり、現在の会社組織が「挑戦」や「チャレンジできる」環境を用意できていないという事実を暗に物語っている。
つまり、「働かない」オジサン問題は会社が、ひいては日本経済全体が、オジサンたちを活用できていないという問題なのではないか。「使えない」ではなく「使いこなせていない」日本経済の問題なのかもしれない。
(小石川シンイチ)
最終更新:2014.07.22 07:04