『チャンネル桜』に出演した際のすぎやま氏
作曲家のすぎやまこういち氏が9月30日に敗血症性ショックのため亡くなっていたことが昨日7日、わかった。人気ゲーム「ドラゴンクエスト」シリーズの音楽をはじめ、「学生街の喫茶店」や「亜麻色の髪の乙女」「恋のフーガ」「花の首飾り」などのヒット曲も手掛け、ゲーム音楽や歌謡史に大きな功績を残した。
だが、すぎやま氏といえば、そうした輝かしい功績の一方で、歴史修正主義などの極右思想の持ち主としても活発に発言をおこなってきた人物でもある。すぎやま氏はのちに「LGBT に生産性がない」という差別論文で大きな批判を浴びる自民党の杉田水脈・衆院議員の同趣旨の性差別発言に「ありがたい」「正論ですよ」などと同調したり、「慰安婦は強制ではない」「南京虐殺はなかった」といった主張をおこなってきた(詳しくは過去記事参照→https://lite-ra.com/2021/07/post-5961.html)。
本サイトでは、「ドラゴンクエスト」の代表曲「序曲:ロトのテーマ」が東京五輪大会の開会式で採用された際、すぎやま氏の性的マイノリティに対する差別を是認する態度はオリンピック憲章に掲げられたあらゆる差別の禁止に反するものであり、さらに先の戦争における加害責任を否認し人的損害を矮小化しようとする歴史修正主義は国際的にも許されるものではなく、開会式での楽曲使用を厳しく批判した。
そして、今回の訃報を受けて、ネット上でもこのようなすぎやま氏の言動について、あらためて批判をおこなう投稿も見受けられたが、案の定、それらに対して「死者への冒涜だ!」という非難や怒りの声があがっている。
亡くなったこと自体を喜ぶような言葉を投げる行為は下品、下劣極まりないが、それと生前の発言について批判をおこなうことは意味がまったく違う。政治家や学者、芸術家らが鬼籍に入っても、過去の言動や表現、作品をきちんと検証・批判するのはむしろ当然の行為だ。
しかし、このような筋違いの非難が起こるのも当然なのかもしれない。というのも、肝心の国内の大手メディアが出したすぎやま氏の訃報記事は、その功績を取り上げるだけで、負の側面についてまったく触れていないからだ。
たとえば、「ネトウヨ新聞」である産経新聞は「言論活動でも存在感、私財投入も」と題して、すぎやま氏が極右思想の持ち主としておこなってきた活動を大きな功績として紹介し、櫻井よしこ氏の「歴史問題をめぐり、日本が国際社会でおとしめられているのに唯々諾々として反論しない状況に、すぎやまさんは『僕は悔しくてたまらないんだよ』とおっしゃっていた」という談話を掲載。この櫻井氏のコメント自体がすぎやま氏の歴史修正主義者としての有り様をよく示しているとも言えるが、一方、毎日新聞の訃報記事は、功績を大きく紹介したあとで短く〈改憲推進団体「美しい日本の憲法をつくる国民の会」代表発起人を務めるなど、晩年は保守系文化人としても知られた〉と言及しただけ。朝日新聞も〈右派の論客としても知られ、意見広告やコラムなどで積極的に発信を続けた〉、読売新聞も〈社会的な問題への関心も強く、「一票の格差を考える会」などの活動を行った〉とし、差別発言の是認や歴史修正主義については触れようともしなかったのだ。