太田充氏が「近畿財務局」に責任を押し付ける答弁をした2日後、赤木さんは自殺した
しかも、忘れてはいけないのは、太田氏は赤木俊夫さんを追い詰める役割を演じていた、ということだ。
今年3月18日発売の「週刊文春」(文藝春秋)に掲載された記事によると、2017年12月末、赤木さんのもとに検事から電話があり、その後、赤木さんは妻の雅子さんに対してこう話していたという。
「検察は恐ろしいとこや。何を言っても思い通りの供述を取る。検察はもう近畿財務局が主導して改ざんしたという絵を描いている。そのストーリーから逃げられない。ぼくが何を言っても無理や。本省の指示なのに最終的には自分のせいにされる。ぼくは犯罪者や」
じつは、この少し前から、安倍政権と財務省は責任をことごとく近畿財務局に押し付けはじめていた。
その最たるものが、近畿財務局の法律相談記録の隠蔽工作だ。2017年4月、実地検査に入った会計検査院から森友学園との土地取引関連の文書を出すよう求められていたが、近畿財務局は法律相談の記録を検査結果が国会報告される前日まで提出しなかった。
これは財務省が命じたもので、赤木さんも手記で言及し“法律相談の記録等の内部検討資料が保管されていることは、近畿財務局の文書所管課等の全ての責任者は承知していました”と書き、〈応接記録をはじめ、法律相談の記録等の内部検討資料は一切示さないこと、検査院への説明は「文書として保存していない」と説明するよう事前に本省から指示がありました〉と明かしている。
ところが、情報開示請求などによってその内容が明らかになり、国会で追及がはじまると、安倍政権と財務省は、すべて近畿財務局の責任にした。実際、麻生財務相は「法律相談の文書は近畿財務局のなかにあったということで、理財局のなかにあったわけではない。まずここははっきりさせておきたい」と言い、「発見できなかったことは甚だ残念」などと答弁(2018年2月14日衆院予算委員会)。
そして、当時理財局長だった太田氏も、「気付いていれば出していた」と答弁し、「誰が気づかなかったのか」という質問に、「近畿財務局の管財部の統括国有財産管理官というところが主として担当していた」「基本的に彼らが気付かなかったということ」と答えたのだ(2018年3月5日参院予算委員会)。
こうした答弁に対し、赤木さんも手記で〈太田(現)理財局長が、前任の佐川理財局長の答弁を踏襲することに終始し、国民の誰もが納得できないような詭弁を通り越した虚偽答弁が続けられているのです〉と指摘しているが、このころには政権内に「すべて近畿財務局のせいにする」という暗黙の了解があることが見てとれた。赤木さんと同じ立場なら、誰でも自分がスケープゴートにされると恐怖するはずだ。この太田氏の国会答弁の2日後である3月7日、赤木さんは遺書に〈最後は下部がしっぽを切られる〉と綴り、手記にも〈本省がすべて責任を負うべき事案ですが、最後は逃げて、近畿財務局の責任とするのでしょう〉と記し、自殺を遂げた。
つまり、安倍官邸の手足として動き、間違いなく森友公文書改ざん問題の重要人物のひとりである人物を、いま、安倍首相は事務次官に昇進させ、再調査を突っぱねさせようとしているのである。二重三重の意味で非道な行為と言うほかないだろう。
新型コロナによって国会では徹底した追及がおこなわれないままで、安倍首相は国会を閉会させてしまったが、そんなことで赤木さんの問題は終わらせられるようなものではない。黒川弘務・前東京高検検事長の定年延長問題および検察庁法改正案に対して大きな声があがったように、太田氏を財務事務次官に昇進させようという人事に対しても、そして第三者による再調査を求めて、国を動かす大きな声をあげなければならない。
(編集部)
最終更新:2020.07.08 11:04