安倍首相の放置と「救う会」の政治利用に耐え続けた横田さん
──安倍首相は滋さんの死を受けて、会見で“断腸の思い”と言っていました。少しは反省しているんでしょうか。
蓮池 とてもそうは思えない。「断腸の思い」なんて言葉だけですよ。安倍首相は今年2月、有本恵子さんのお母さん、嘉代子さんが亡くなったときは、「痛恨の極み」と発言しましたが、ただ政治家用常套句を言い換えただけです。だいたい“断腸”などという言葉は残された家族の言葉です。安倍さんが言うセリフではない。
いつものことですが、安倍さんは言葉だけ、しかも軽いんです。これまでも「果断に行動する」「任期中に解決する」「政治生命をかける」と繰り返し勇ましく語ってきました。しかし、結果はどうなのか。積極的な行動なんて何もしていない。被害者家族にはかない夢を見させるだけで放置した。拉致問題を政治的に利用して、“闘う政治家”イメージをつくりあげ、排外ナショナリズムを煽り、それを武器に2回も総理大臣になったのに、何も事態を進められていないわけです。国民もいい加減、認識を変えるべきですよ。
──亡くなった横田さんはそうした安倍首相の、安倍政権の拉致問題政治利用についてどう考えていたのでしょう。
蓮池 純粋な方なんで、安倍さんにそれなりの期待はあったと思います。最初は信頼感もあったと思う。ですから表立って政府や外務省、安倍さんの批判は絶対しなかった。しかし時が経つにつれ、“何なんだろう”という思いは心のなかにはあったと思います。安倍さんに対しても、全幅の信頼というより、消去法で仕方がないという消極的な支持だったと思っています。他に誰がいるんだ、やってくれるんだ、と。たとえば私の母など、総理だろうと大臣だろうとズケズケと意見を言いますが、滋さんは「批判はしないでね」と逆に諌めて、その場をおさめるような感じでした。「家族会」代表という立場もあった。もし政府や安倍首相と全面対決という構図になったら、問題解決はさらに遠のく。ですから表立った政治批判、政権批判はしないと、そういうふうに考えておられたのかな。もちろんお酒を飲むと、やっぱり本音がちらっと出ます。やはり大きなストレス、苦悩があったのは間違いないでしょう、酒の量も増えていった。でも本当に温厚な方で。自分の意見を声高に主張するのでなく、代表としてみんなの意見を聞いて、調整役に徹していた。だから、政治家や官僚は横田さんを利用して、つけこんでくる。たとえば、外務省の人なんか「具体的に何をやっているんですか」と聞くと、返ってくるのが「外交上の問題ですから」という言葉なんです。便利な言葉ですよね、外交上の問題です、秘密ですと。それで何十年も誤魔化されてきた。私なんかは激怒していたんですが、それに対しても滋さんは文句を言わなかった。
「救う会」の批判も聞いたことがありません。過激な活動方針を出されても「わかりました」と受け入れてきた。でも、実際は苦しかったんじゃないでしょうか。「家族会」の代表を辞めたのも体調の問題に加えて、「救う会」との調整が辛くなったという部分はあると思います。実際、「救う会」は逆に解決を先延ばしさせるために、年々ハードルを上げ続けてきましたからね。最初は全員帰国、次は全員一括帰国、そして全員一括即時帰国。安倍さんの逃げ道をつくっているとしか思えない。まるで拉致被害者を救うのではなく、安倍首相を救う会のようです。
ただ、滋さんはそれでも表立って、批判しなかった。私から見ると、よく耐えていたなと。たとえば2016年、横田夫妻がモンゴル・ウランバートルで初めてキム・ウンギョンさんと面会し、同行した夫や生後10カ月のひ孫と過ごした際に撮られた6枚の写真を「週刊文春」(文藝春秋)が掲載しましたが、その後、横田夫妻は「写真は横田家から提出したものではない」という声明を出した。これだって「救う会」から圧力をかけられたからです。それでも横田さんは自分を抑え、「救う会」の言うことに従った。
私が、横田さんが「救う会」に激怒しているのを見たのは一度だけ。酒の席で「救う会」幹部を大声で怒鳴りつけたんですが、本当にその一度きりでした。
いまになって思えば、滋さんにはもっと自分を出してほしかった。でも立場上できなかったんです。
実際、代表を辞めた後も、滋さんは強硬派と穏健派の調整役をしていました。ぶつかり合いの調整役になって融和的な路線にしようと。そう考えると、貴重な人を亡くしてしまったと本当に思います。