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「表現の不自由展」再開で立川志らくと竹田恒泰がそっくりな“小学生以下”妄言!「だったら殺人も核戦争も『表現の自由』か」

立川志らくは自分が批判されると「私の意見だって表現の自由」と被害者ヅラ

 他でもない、落語家の立川志らくのことだ。本サイトでは先日、志らくがあいちトリエンナーレを巡って、『グッとラック!』(TBS)で津田大介氏と討論し、そのなかで“子どもの虐待映像を見せるのも表現の自由なのか!”などと食ってかかったうえで、「政府がまだ認めていないものを芸術だって言い張っちゃう(のはダメだ)」と“独裁国家の検閲官なみの芸術観”をひけらかしたことを伝えた(https://lite-ra.com/2019/10/post-5018.html)。

 この志らくの発言には、SNSでも多くの批判が集まったが、志らくはその後も懲りることなく、自身のTwitterでこんな反論をしたのだ。

〈演劇でもなんでも国からお金をもらうというのは大変なこと。連中は都合が悪くなると表現の自由だと騒ぎだす。〉
〈表現の不自由展なんか認めない!という私の意見だって表現の自由だろうに。なんで自分たちは非難されるとそれを攻撃してくるんだ?トンチンカンも大概にしろ。税金使わず勝手にやりゃあいい。文句があるなら仲間だけで愚痴り合えばいい。〉(11日)

 もちろん、志らくが「表現の不自由展なんか認めない」と発言するだけなら表現の自由だ。しかし繰り返すが、志らくは政府が認めていないものを芸術というな、などと、権力の表現への介入や圧力を正当化する、まるで独裁国家の検閲官みたいなことを言い出したのである。だから、多くの良識ある視聴者がやはり表現の自由に基づき、「こんな発言はありえない」と批判した。それだけのことじゃないか。

 自分が表現の自由への圧力を正当化しておいて、自分が批判されると被害者ヅラ。こんなことで文句を言うなら、それこそ情報番組のMCなんてやめて、安倍応援団仲間と愚痴ってろって話だ。

 あげく、志らくはこんなツイートまで繰り出している。

〈煽り運転の運転手が煽るのが俺の表現だ!路上で下半身をさらけ出すのも表現だ!激辛カレーを教師に食べさせるのも表現だ!殺人も表現だ!戦争も核兵器投下も表現だ!と言い始めたら?世の中めちゃくちゃになります。〉(11日)

 先に〈虐待やポルノ、殺人映像も表現の自由なのか?〉とツイートした竹田恒泰のことを「小学生の屁理屈」レベルと言ったが、志らくも見事に同じ発想(笑)。と言うか、志らくの場合は、〈戦争も核兵器投下も表現だ!と言い始めたら?〉などと、個人でなく国家の行為まで持ち出しているから、「小学生以下」と言ってもいいかもしれない。

 しかし、問題は、連中の頭の悪さや悪質なすり替えそれ自体ではない。少し前なら、一笑に付されたようなこんな妄言が堂々と地上波で流され、一定程度の支持を得ていることだ。

 歴史が証明しているように、公権力は、一足飛びに人々の自由を弾圧しようとはしない。まずは大衆の“自主規制”を誘導し、自分たちの意思で自由を制限しているように錯覚させる。そうして与しやすくしたうえで立法権や行政権を濫用し、政府に批判的とみなした人々をじわじわと締め上げていくのだ。

 だからこそ、わたしたちは鋭敏に反応し、その都度、反論の声をあげなければならない。まちがっても、表現の自由を抑圧する言説を歓迎してはいけないのである。本サイトは今後も、竹田恒泰や立川志らくのような人たちが拡散する言説の誤りを徹底的に追及してゆくつもりだ。

最終更新:2019.10.14 01:08

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