萩生田光一文科相の「取り消し理由」のトンデモ 取り消しは安倍政権の政治家の圧力だ
実際、文化庁の今回の補助金取り消し決定の裏に、安倍政権の圧力があったことは間違いない。
先の内閣改造で安倍首相の側近中の側近・萩生田光一氏が文化庁を管轄する文科相に就任したが、その萩生田文科相は昨日のぶら下がり会見で「検閲には当たらない」などと強弁した。
しかし、これが事実上の国家検閲でなくてなんなのか。「実現可能な内容であるか、それから継続可能かどうか」を審査したとして、「文化庁に申請のあった内容通りの展示会が実現できていない」なる不交付の理由も無茶苦茶としか言いようがない。
繰り返すが、そもそも文化庁は今年4月に「あいちトリエンナーレ」に対し、「文化資源活用推進事業」として約7800万円の補助金交付を内定させていた。ところが「表現の不自由展・その後」の少女像展示などが発覚すると豹変。「事実関係を確認、精査して適切に対応したい」(菅官房長官)、「事業の目的と照らし合わせて確認すべき点が見受けられる」(柴山前文科相)などと“補助金交付の見直し”をチラつかせたのだ。「表現の不自由展・その後」を標的にしているのはミエミエで、実際、“安倍政権御用紙”の産経新聞ですら〈元慰安婦を象徴する「平和の少女像」や昭和天皇の肖像を燃やすような映像の展示に批判が高まったことなどを受け、交付が適切かどうか精査していた〉と書いている(産経ニュース)。
補助金をタテにとった事実上の国家検閲と呼ぶほかない。たとえば萩生田文科相は、主催側が少女像展示等に対する批判によって展示の継続が難しくなる可能性を知りながら文化庁に「相談がなかった」ことも不交付の理由にしたが、いや、それこそ展示への介入以外の何物でもないだろう。事前に展示物をひとつ残らず申請させ、その通りにつくらなければ補助金を止めるということが正当化されるからだ。美術の展示に限らず、創作物の制作過程で内容が変わることなどザラにあるし、それ以前の問題として、政府にとって都合の悪い内容なら事前の申請時点でハネられてしまうかもしれない。政権を忖度した過剰な自主規制を招くのは目に見えているだろう。
だいたい、脅迫を含む抗議殺到によって「表現の不自由展・その後」の継続が困難になった事実は、それを予見し対策が可能だったかとは関係なく、いかなる理由があろうとも責められるべきは脅迫犯であって、主催者側であるはずがない。こんな理屈が通るなら、それこそ、国や自治体から補助金が出ているイベントならなんでも、ネトウヨが電凸や脅迫を繰り返して炎上させてしまえば、「対策ができていない」などと言って補助金を停止するという暴挙がまかり通ってしまうことになる。