『なつぞら』のモデルとなった女性アニメーター・奥山玲子と労働組合
まず、奥山氏は戦争孤児であるすずとは違い宮城県で両親のもとに生まれ、小学校時代に敗戦を体験した。敗戦で価値観がくつがえったことで「完全に大人不信」になった奥山氏は、ミッションスクールの中学校で〈聖書の時間に、「神がいるなら何故戦争が起きたのか」と先生を問いつめたり、周囲の大人たちに「第二次世界大戦の開戦時に二〇歳以上だった人はみんな戦争犯罪者だ」と突っかかっ〉る少女に成長。「カミュやサルトルの実存主義にかぶれました。私はボーヴォワールのようになりたいと思っていました」と振り返っている。
事実を変えなくてもこの奥山氏の少女時代で十分、インパクトのある朝ドラ主人公になったように思えるが、その後、奥山氏は東北大学教育学部に進学するが〈家出同然〉で上京、職を転々としてから1957年に臨時採用で東映動画に入社。しかし、そこで奥山氏が直面したのが、差別的な待遇格差だった。
「東映本社採用の大卒男子が月給一万三千五百円、その下が東映動画の定期採用大卒男子、同女子、その下が定期採用高卒男子、同女子の順で、それぞれが千円から五百円くらいの差。更にその下が臨時採用で、これは男女差なく定期採用者の半分程度。(中略)確か大卒は六千円、高卒は五千円。私はこの理不尽な格差は絶対に許せないと思いました。
定期採用の人は一日のノルマが動画十五枚くらいで、定時にさっさと帰ってしまいます。臨時の人は残業残業で、ものすごく働いていました。残業代がないと食べていけないからです」
こうした待遇格差にくわえ、奥山氏が憤ったのが女性差別だった。
「実績重視の現場でしたが、「女性には原画は無理」「せいぜいセカンド止まり」という上層の差別的な超えが漏れ聞かれました」
「(奥山氏より少し下の)定期採用女子は、入社時に「結婚したら退職する」と誓約書を書かされたそうです。昇格と引き替えに生涯独身を迫られた人もいました。そういう差別的空気に心底怒りを感じて、「よし、私は結婚して子供を産んで、しかも第一線から降りないで仕事をするぞ!」と決意しました」
そして、奥山氏は労働組合に入って積極的に活動。組合副委員長を務めた高畑や、書記長となった宮崎とともにアニメーターの待遇改善に取り組んだ。奥山氏は東映動画の同僚で、のちに『アルプスの少女ハイジ』『母をたずねて三千里』などのキャラクターデザイン、作画監督を務めた小田部羊一氏と結婚・しゅっさんするが、会社を辞めなかった。「結婚して子供を産んで働き続けるというのは私が最初のケースでした」と言うように、女性の働く権利を死守したのだ。