嫌韓報道の正体を「視聴率至上主義」と喝破した久米宏のタブーに切り込む姿勢
一体なぜ、テレビはこんな報道をつづけているのか。久米の見立てはこうだ。
「もしかするとね、いま韓国を叩くとね、数字が上がるんじゃないかってね。(中略)そうじゃなきゃ、連日やってるワイドショーもあるんですよ。毎日、韓国叩きやってるんですよ」「これ、たぶんね、数字がいいんじゃないかなって。民放ってやりかねませんからね。数字が良ければなんでも」
悪しき視聴率至上主義の弊害──。久米は加えて「数字が良いってことは、つまり、韓国叩きをやると喜んでテレビを観る人が多いってことにつながっていくわけですから、これはこれでまたね、もしかするとマスコミが国民を煽ってるんじゃなくて、国民がマスコミを煽ってるっていうね」とも述べたが、「嫌韓」という国民の劣情を、視聴率が取れるからといってテレビが煽動していることに間違いはない。いや、そもそもは安倍政権が「歴史修正」と「報復」にこだわって、国民の嫌韓感情にお墨付きを与えている状況があり、テレビも心置きなく韓国叩きに精を出していると言うべきだろう。
そんな国家ぐるみで「嫌韓」感情が醸成されつづけるなかで、「テレビがやっていることは『反韓国キャンペーン』だ!」とはっきり物申した久米。放送人として至極真っ当な批判だが、しかし、電波にのせてこうした当然の批判をおこなっているのは、久米と、あとはジャーナリストの青木理くらいだ。それほど放送メディアのなかでは「『嫌韓』批判」がタブーになってしまっているという証拠だろう。
メディアがタブーにする問題にも、しっかり切り込む。現に、久米といえばこれまでも、メディアがこぞって期待・歓迎ムードを煽っている東京五輪に対しても、“最後のひとりになっても反対する”と明言。「東京都民が決めたんじゃないんですよ。勝手に決めたのを上から押し付けていいのかってこと」「福島の復興のためだって言ってますけど、福島の人はよろこんでいるのか、東京での五輪を」と猛烈に批判。五輪そのものに反対しているだけでなく、上が決めたことを押し付け、国民がその決定に唯々諾々と従う、この国のあり方にNOの声をあげてきた。
さらに、先月に『あさイチ』(NHK)に登場した際にも、「僕はやっぱりNHKは独立した放送機関になるべき」と言及し、こう述べた。
「人事と予算で、国家に首元を握られている放送局があっちゃいけないんですよ。そういう国は先進国とは言えないです。絶対、報道機関は独立していないといけない」
「アンチ政府、アンチ国家の放送局、新聞があってしかるべきなんですよ。だいたいみんな同じになって。すっかり流行語になった忖度みたいなところで、よくないと思いますよね」