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安倍首相が三谷幸喜監督の映画試写会に登場し対談、政治風刺も手がける三谷監督がなぜ?“アベ友”中井貴一が仕掛人か

安倍首相を皮肉った映画が結果的に安倍首相のイメージアップに

 つまり、あきらかに三谷監督は、安倍首相を意識した上で本作をつくったと思われるのだが、危険を感じずにはいられないのは、それが結果的に安倍首相の「イメージアップ」に転換してしまうことだ。本作では、記憶喪失になったことで中井演じる総理は政治と向き合うようになり、国を変えたいと心を新たにしてゆくという。ようするに、「良い総理」になるのである。

 そして、三谷本人も、本作の製作が発表された際に、こんなコメントを寄せている。

「政治風刺がしたいわけではありません。あえて言うなら政治ファンタジーでしょうか」

 市民を指差して、自分を批判する市民を「こんな人たち」と呼んで分断をはかるという独裁丸出しの事実を想起させるシーンを埋め込みながら、「政治風刺がしたいわけではない」「政治ファンタジー」をつくったと述べる三谷監督。──とてもじゃないがファンタジーに昇華させるわけにはいかない現実をファンタジーにすることで、それは結果として現実の悪政を矮小化し、現実に悪政をおこなっている政治家の好感度を上げてしまうのではないか。

 現に、三谷監督は今回、映画のPRを超えて安倍首相のPRに利用されることをわかっていながら、試写会後の懇談に応じ、がっちり握手まで交わしている。「政治ファンタジー」作品の宣伝が、すでにリアルな政治・権力に組み込まれてしまっていることの意味を、はたして三谷監督はどう考えているのだろう。

 三谷氏は2011年に作・演出を手掛けた舞台『国民の映画』で、ナチス政権下における映画人たちの反骨が描かれていたなどと高い評価を受けた。しかしいまの状況は、まさに自身が権力に利用される映画人になってはいないか。

 メディアも一体となって無批判に繰り出される安倍首相の政権PR。大衆娯楽に接近する権力の恐ろしさについて、もはや受け取る側が警戒するしかないのだろう。

最終更新:2019.08.13 02:04

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