安倍政権になって「9条護憲」も政治的中立侵す、と公共施設から締め出し
じつは佐世保市と市教育委員会は、2017年にもこの写真展の後援を依頼されたのだが、このときも署名活動と、写真展のチラシにあった「歓迎! 核兵器禁止条約」という表現に対し「政治的または宗教的中立性を侵すおそれがあるものに該当する」として後援を拒否していた(毎日新聞8月4日付)。「政治的または宗教的中立性を侵す」とは、さっぱり意味がわからないだろう。一体、核廃絶を訴えることの、どこが政治的だと言うのか。
核廃絶を訴えることに対して、被爆地の教育委員会が「政治的中立性を侵す」と主張する異常──。だが、これこそがいま、この国を覆い尽くそうとしている考え方なのだ。
実際、第二次安倍政権になって以降、9条護憲にかんする集会が公共施設の使用を拒否されたり、使用許可が取り消されたりするケースが相次いでいる。それどころか、さいたま市では「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」と詠んだ女性の俳句が秀句に選ばれたのに公民館だよりに掲載されなかったという問題まで発生。公民館側は「『九条守れ』というフレーズは、公民館の考えであると誤解を招く可能性がある」「公平中立であるべきとの観点から、掲載は好ましくないと判断した」などと主張した。この問題は裁判となり、一審・二審とも「句が掲載されると期待した女性の権利を侵害した」「人格的利益の侵害にあたる」とし、女性への慰謝料を認めている。
行政側は「政治的中立性」「公平中立」などというが、公務員には憲法遵守が憲法によって義務づけられているというのに、それはまるで無視され、「憲法守れ」「平和を守れ」という主張は「政治的」だと判断されているのだ。
それだけではない。ラジオDJなどの活動で知られるピーター・バラカン氏は、9条関連のTシャツを着て街を歩いていただけで警察官に職務質問されたといい、一方、自民党はホームページで「子どもたちを戦争に送るな」という教員らを「偏向教育」として密告させるフォームを設置したことも大問題になった。
つまり、安倍政権は9条と憲法の平和主義を“危険”扱いして排除する流れをつくり出し、行政もそれに右に倣えで従うというかたちができあがってしまった。そして、その流れは「核廃絶」というメッセージにまで波及しているのである。
そんな恐ろしい空気が流れる社会のなかで、安倍首相を前に、はっきりと「核兵器禁止条約への署名、批准」「平和憲法の堅持」を訴えた田上市長。この言葉を安倍首相が受け止めるとは思えないが、しかし、平和を訴えることをタブーにしようとする流れに、市民が「おかしい」と声をあげつづけていくしかないだろう。
(編集部)
最終更新:2019.08.09 08:24