キーン氏は東京五輪にも「非常に不愉快に感じています」と…
そして、東北を置き去りにして押し進められる東京オリンピックに関する事業に対しても「はっきりいって、ひじょうに不愉快に感じています。なぜなら、まだ東北の被災者の方たちの生活は元通りではないし、復興も途中だからです」と語る。
キーン氏は加えて東京オリンピックに関する安倍政権の欺瞞の数々を指摘する。「復興五輪」と銘打ち、「スポーツの力で被災地を元気にする」とオリンピックを招致したが、結果として起きたことは、オリンピックのための公共事業の増加により復興を阻害したことや、震災の風化を早めることだった。キーン氏は続けてこのように語っている。
「まるで終わってしまったことのようにするのは、間違いだと思います。オリンピックのためには、莫大なお金を使うことになるでしょう。なぜ東京なんでしょう。招致のプレゼンテーションのときには、「震災復興五輪」と、聞こえのいいことを言っていました。本当に震災復興五輪なら、なぜ仙台でやらないのか。東北ではまだ仮設住宅で暮らしている人たちもいるのに……」
キーン氏は、太平洋戦争中、日本人捕虜への尋問や、各戦線で回収された文書の翻訳作業などにあたっていた。沖縄に上陸し、日本語を使って民間人に投降を促す任務にも従事している。その沖縄に向かう途上では特攻機が来襲し、九死に一生を得た経験もしているという(「歴史群像」11年12月号/学研プラス)。
戦争を知っているからこそ、キーン氏は日本を再び戦争ができる国に戻そうとする動きにはとりわけ危機感を訴えていた。
寂聴氏との対談のなかでキーン氏は「数年前、代議士の会で講演をしたことがありますが、そのときに本当に驚きました。ある方が、「これからの日本はもっとよくしなければなりません。言葉も旧仮名遣いに戻し、憲法も改正すべきです」と。私は、冗談かと思いました」との経験を語ったうえで、浅薄な改憲論に異論を唱える。
「日本人はときどき忘れてしまうようですが、太平洋戦争が終わってから、戦死した日本人は一人もいません。しかしその間、アメリカ人は戦争で大勢命を落としています。アメリカだけでなく、世界中のあちこちで、多くの人が戦争で死にました。それなのに、日本人は一人も戦死していない。そのことを、決して忘れてはいけないと思います」