レーダー照射問題で防衛省の反対を押し切って動画を公開した安倍首相
現に、今回の会見で文大統領は、大法院判決について「日本を含む先進国と同じように韓国にも三権分立があり、韓国政府は司法判断を尊重する必要がある」と明言している。安倍首相らは韓国司法の判断の「ありえない判断」と批判するが、しかし、それは韓国大統領に「裁判所への政治介入をしろ」と告げているに等しいのだ。民主主義の理念として「ありえない」のはどちらか。
だいたい、国内を見渡しても、三権分立をないがしろにしているのは安倍首相のほうではないか。首相が国会で「私は立法府の長」と“言い間違え”を繰り返しているのは周知のとおりだが、司法に対しても、最高裁判事にあの加計学園の理事を任命したり、原発訴訟で国側に不利な判断を下した裁判官が事実上の“左遷”をくらったりと、安倍政権は日本の司法に対する介入をどんどん強めている。
むしろ、安倍首相は“三権分立など無視して当然”とでも思っているからこそ、平気で韓国に対しても「ありえない判断」などと圧力をかけるのだろう。
ようは、こういうことだ。先に「解決」の土台を破壊しておきながら、韓国だけを「悪者」に仕立てあげる。そして、その作り上げた「悪者」を真っ向から批判する姿勢を見せることで、国内の支持に繋げる。それが、トランプ米大統領のブレーンだったスティーブン・バノン氏をして「トランプ以前のトランプ」と言わしめた、安倍首相お得意の手法に他ならない。
実は、これは例のレーダー問題には同じことが言える。安倍政権とマスコミは「韓国けしからん」と声を揃えているが、この問題がここまでこじれてしまった最大のポイントは、防衛省が韓国側の不意をつくかたちで動画を公開してしまったことにある。動画公開によって、韓国国防省は追い込まれ、あの反論動画という不毛な応酬を招いた。そうして、両国政府の引っ込みがつかなくなる形で対立が激化したわけである。
しかし、本来ならば、この問題は担当部署での話し合いで、政治的妥結点を探っていくべき話だった。先月27日の実務協議で韓国が照射の事実を認めず物別れに終わったとはいえ、この国の政府が十分に成熟した政治観を持っていれば、その後も粘り強く当局間で調整を続けるという選択が妥当だったはずだ。
ところが、周知の通り、27日の安倍首相の“鶴の一声”で動画公開が強行された。12月28日の時事通信の報道によれば、防衛省は当初〈防衛当局間の関係を一層冷え込ませると慎重だったが、韓国にいら立ちを募らせる安倍晋三首相がトップダウンで押し切った〉〈複数の政府関係者によると、方針転換は27日、首相の「鶴の一声」で急きょ決まった〉という。