女芸人大挙出演の松本人志『ドキュメンタル』でも同じ構造が
近年の地上波では、実験的なネタや芸人の作家性の強いネタが放送されることはほとんどなく、ひな壇トークなど、ホモソーシャルな人間関係をベースにしたお笑いばかりだ。お笑いやバラエティ番組だけでなく、ニュースを扱う情報番組までもお笑い芸人のMCやコメンテーターへの大量進出によりその文脈下で展開されている。
そうした男性中心の人間関係のなかで、女性芸人が活躍の場を獲得してい行くことはきわめてハードルが高い。そして、女性芸人は自分たちがこの極端な男優位の社会でサバイブするために、男性目線を内面化していく。テレビで展開される女芸人による「女性ならではのネタ」が、あくまで旧来的な男女の性役割に基づいた「女性像」を前提に、それができないことを自虐するというものばかりになってしまっているのは、そのせいだろう。
もうひとつ、男性芸人と同じように体を張って、喝采を浴びるというパターンもあるが、これも同じだ。「男性と同じことをしないと認めてもらえない」という女芸人の抑圧的状況が逆にあらわれているにすぎない。
実際、こうした女芸人への抑圧構造がお笑いの隅から隅までいきわたっていることがよくわかったのが、『HITOSHI MATSUMOTO Presents ドキュメンタル』(Amazon Prime Video)だった。地上波よりも視聴率にとらわれることのないこの配信番組でも、まったく同じような事態が起きていた。
本サイトでも何度か取り上げているが(https://lite-ra.com/2018/02/post-3817.html
)、『ドキュメンタル』は、全裸になるぐらいのことは当然として、時には直接的に性行為を連想させる模倣まで行うなど、「ホモソーシャルな笑い」の極地であり、能町みね子氏が『ドキュメンタル』の空間に女性芸人が入った際の「セクハラの危険性」を指摘したこともある。
その『ドキュメンタル』のシーズン6が11月30日から配信されているのだが、今回は、藤本敏史(FUJIWARA)、陣内智則、真栄田賢(スリムクラブ)、大悟(千鳥)、村上ショージ、ジミー大西、黒沢かずこ(森三中)、近藤春菜(ハリセンボン)、友近、ゆりやんレトリィバァと、初めて4人も女性芸人が参加した。いままでは女性が誰もいない回が圧倒的に多く、いても1人だけの参加だったため、『ドキュメンタル』史上でもこれはかなり異例のことといっていい。
松本人志は番組のなかで「今回は女子多め」「全員女子でも良かったけど、男子も入れてみた」と発言していたが、「ミソジニー的な笑い」との批判を意識し、今回は女性芸人を増やしたようにも思えた。
ただ、最終的な結果は「女性の尊重」とは真逆のものだった。シーズン6の優勝者はゆりやんレトリィバァで、『ドキュメンタル』で初めて女性の優勝者が出たわけだが、そこでの笑いの取り方は、露出度が非常に高い水着を着用して乳首を露出させたり、挙げ句の果てには、上半身裸の力士姿で登場する、といったもの。まさに、前述した“男性芸人と同じように体を張って、恥をかなぐり捨てて喝采を浴びる”というパターンだったのである。