日本国憲法下の「象徴」であることを強調したのも国家元首化への牽制
実際、自身の退位については会見の序盤と最終盤で2回触れていたが、それもまた“天皇と立憲民主主義の関係”を確認することで、安倍首相や自民党、極右勢力が目論む「天皇の元首化」などの復古的改憲を暗に批判するものだった。
「私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います」
「天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います」
明仁天皇は、日本国憲法で位置付けられた「象徴」としての天皇を国民が「受け入れ」たことに謝意を表した。これは、象徴天皇が国民の同意が必要な存在であることを示唆したともいえるだろう。そして、この憲法にふさわしいあり方を皇后とともに模索し、今後も求め続けると宣言した。その天皇像が皇太子にも引き継がれるよう望んだ。最後はほとんど涙ながらだった。
言い換えればこれは、“国民と憲法あってこその天皇”だと自戒することに他ならない。戦前日本において、国民は「天皇の赤子」とされた。政治権力は、皇室を逆らうことのない絶対的権威として戦争に利用した。「国民に衷心より感謝」した平成の天皇は、それとは真反対のメッセージを込めたのだった。
いよいよ平成が終わる年がやってくる。退位に際した記者会見は行われないという。政治は日々不穏な色彩を濃くしている。明仁天皇のメッセージをどう受け止めるかは、わたしたちひとりひとりにかかっている。
(編集部)
最終更新:2018.12.24 07:56