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とろサーモン久保田とスーマラ武智の女性差別発言を松本人志、ビートたけしが「審査員問題」にすり替え!

芸能人の女性差別発言をまったく問題視しないテレビの体たらく

 久保田は騒動後に「権力者に歯向かうと何事だと声を挙げると、一斉にそれに賛同」というラップを披露していたが、これが松本人志や島田紳助を批判して非難されていたのなら、本サイトも久保田を応援していたかもしれないが、そうではない。

 結局のところ、女性である上沼が審査員のなかで叩きやすかったにすぎない。その根底には、「“オバハン”に点数を付けられたくない」「“オバハン”なら攻撃しても誰からも文句は言われない」といった、意識的か無意識かはわからないが、そうしたミソジニーがあるのが透けて見える。

 これは、辻元清美衆院議員や精神科医の香山リカ、あるいは女優の水原希子が、頻繁に炎上攻撃にさらされたりネトウヨのターゲットになっている問題とも共通している。“物を言う女性”は、女性を蔑視することで自分のプライドや優位性を保とうとする男たちにとって我慢ならないのだろう。

 しかし、先述した通り、世間での議論は「女性差別」から「お笑いを審査することの是非」に完全にすり替わってしまっている。

 ちなみに、この論調を決定づけたのは、9日放送の『ワイドナショー』での松本の発言だろう。

 先日本サイトでも報じた通り(https://lite-ra.com/2018/12/post-4416.html)、今回は相手がたまたま上沼恵美子という芸能界で強い力をもつ大物芸能人だったから、女性蔑視発言が舌禍問題となっただけであって、お笑い芸人の間ではこういった発言は日常的になされ、時には笑いのための「ネタ」にすらなっている。その女性蔑視体質は、松本もたけしも同様というか筆頭だ。

 だからこそ、松本やたけしは自分にとっても都合の悪い女性蔑視問題はあえてスルーし(あるいは女性蔑視体質が染み付きすぎて問題が認識できていない可能性もあるが)、「審査員」問題に話をすり替えたのだ。

 情けないのはテレビだろう。本来ならこうした芸人たちの女性差別をこそ問題にすべきなのに、松本の論点すり替えに丸乗りしている。そもそも各局ワイドショーがこの問題を扱い始めたのも、『ワイドナショー』での松本の発言が契機だ。松本の論調を確認し、松本の意に反する可能性がなくなったことから、心置きなくこの話を扱うことができるようになったというわけだ。相変わらず地上波テレビはそういった権力構造と忖度で動いていて、差別問題のひとつも批判できないのだ。

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