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秋篠宮が“宗教色”を指摘した「大嘗祭」に秘密の儀式が! 新天皇が寝座のある部屋に一晩こもり…

平成の大嘗祭でも秘密のうちに執り行われた主紀殿、悠紀殿の儀

 しかも、ここで指摘しておかなければならないのは、かくも異様な儀式の存在を述べた折口の説を当時、当局が容認していたという事実だ。前述したように、折口が前後に天皇論・大嘗祭論を展開した昭和3年は、大嘗祭の実施年であったと同時に、治安維持法の最高刑が死刑へ改められた年であり、「三・一五事件」と呼ばれる共産党への大弾圧も行われた。

 ところが、折口の説は取締の対象とならなかっただけではなく、当時、国家神道推進の中心人物によって堂々と紹介されてもいる。近代神道の創始者であり、内務省神社局考証課長でもあった宮地直二が東大の神道講座で「天皇霊」論を講義したのである。

 もちろん、大嘗祭に、折口らの主張する秘儀があったとしても、途中からは、実際に性的行為や前天皇との同衾が行われていたわけではなく、模擬儀礼として行われているだけという可能性が高い。

 また、民主主義下で初めて行われた平成の大嘗祭では、海外メディアが秘儀をめぐる報道を繰り広げたことを政府が憂慮。わざわざ宮内庁が事前に会見で「(大嘗祭に)特別な秘儀はなく、特別な御告文にもそのような思想はない」と否定した(ただし、折口が性的儀式の存在を指摘した「大忌の御湯」「小忌の御湯」の儀については、会見で具体的内容について質問がとんだものの、宮内庁は説明を拒否している)。

 しかし、その平成の大嘗祭にしても、大正や昭和の大嘗祭とまったく同じように、長時間、徹底して秘密裏に執り行われたことは事実だ。

 大嘗祭を取材した元朝日新聞皇室担当記者でジャーナリストの岩井克己氏は、当時のことを〈午後五時過ぎから午後九時過ぎまで約四時間にわたって天皇の悠紀殿の儀が行われたが、殿内での天皇の「秘儀」はもちろん、廻廊を歩む姿も諸役の動きも全く見えない。奏されたという神楽歌など楽部の奏楽もほとんど聞こえず、ただひたすらじっと座って寒さを我慢しただけで終わった〉と振り返っている(「選択」2014年1月号)。

 今回の秋篠宮の指摘は、「政教分離」違反への懸念はもちろん、こうした平成の大嘗祭を体験した明仁天皇の思いを代弁したという部分もあるのではないだろうか。

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